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2011年5月31日火曜日

安定的な妊娠期間

今回の妊娠期間は非常に安定していましす。大発作は当然ありませんし小発作もほとんど無い状態です。
妊娠前に比べると薬の量が増加しましたので血中濃度が安定するまでは辛そうでしたが脳外科の先生が上手くコントロールしてくれたおかげで眠気も強くありません。
しかし増えれば奇形リスクが高まるので別の心配はあります。
早く無事に出産される事を祈るしかない自分がもどかしい…

2011年5月29日日曜日

第二子の妊娠とは

妻が妊娠してから気付いた事は一人目とは全く違うという事です。楽になった点は先に待ち受けている事が分かるので準備が出来ます。薬の量が変更される時期や症状など一人目ではあたふたしていましたが落ち着いて対応出来ます。難しくなった点は第一子が居る事です。(当たり前ですけどね)妻のフォローと子育てを同時に行うのは困難でした。妻の体調が悪ければ出掛けずに家に居るのが安全ですが子供は遊びたいのでぐずります…バランスを保つのが難しいです。

2011年5月27日金曜日

薬の増量

妊娠が判明するとすぐに脳外科へ行き報告します。先生は喜びながらも真剣な表情で「今回は薬の量を増やします」との事、第一子の時に大発作を連発し危険な状態に陥った事を踏まえて奇形児のリスクより発作のリスクを優先した様でした。薬の量が変わると妻の体調は悪化しますし今回は子育てをしながらの妊娠期間なので疲労が重なるか心配です。

2011年5月24日火曜日

的中!

第二子を目指して3ヶ月目でした。リラックスして妻と月に一回だけ愛し合った後に「あっ!妊娠した」と直感の様な感覚がありました。当然妻には話しません、期待させてガッカリさせたくは無いので自分の胸の内に止めましたが明らかに感じました。翌月から来るものが来ず、更に翌月産婦人科へ行くと「おめでとうございます!」と…不思議でした人間には第六感が存在すると思いました。これからは薬のコントロールと発作の心配が増えますが、やはり嬉しかったです。

2011年5月23日月曜日

情けない

子作りロボットが嫌と言いつつ誘われると断れない駄目な男です。しかし妻と愛し合う事が嬉しくて授かって欲しいという気持ちとまだ先で良いと思う気持ちが交錯しました。妻は一人目の時とは違いリラックスしています。不妊治療では高額な費用が必要ですので自然と緊張感が増してきますが今回は出来たらラッキー的な気分になっていた感じです。
もしかすると今回はすんなり妊娠かもと感じていました。

2011年5月22日日曜日

やっぱり…

実際に子作りが始まると妻は体温を計測し排卵日付近になるとお誘いが来ます。それ以外は拒否です…男が一番嫌がるパターンに突入しました。子作りロボット状態に腹がたち排卵日では無い日にあえて誘うと拒否!子供を作るだけの行為は嫌だと話すと「今日は頭が痛いから無理!」
これを言われると発作が起きると恐いので撤退あるのみ…完全に負けました。

2011年5月21日土曜日

子作り開始

夫婦で話し合った後に早速第二子を目指して行動開始となりました。
しかし、私は複雑な気分になります。普段は完全拒否でしたが子作りとなると復活になる…先生からは3人目は駄目とキツく言われているので第二子が産まれたら二度と機会が無くなる予感がします。ウジウジ言っても始まらないので、取り敢えず前進あるのみ!まだ見ぬ第二子を思い励みます。
先日から若干体調を崩しお休みしてました。季節の変わり目は注意ですね

2011年5月20日金曜日

妊娠の可能性

協議により第二子を望む事になりました。反対していた私ですが覚悟を決めると欲しいと言う正直な気持ちが全面に出てきました。前回の投稿にも記載しましたが不妊治療を行わずに子供を作る訳ですから「のんびりと待とうね」とお互い確認し合いました。不妊治療をすると高額な費用が必要となるので失敗した時のショックが大きくなりますが自然な形であれば費用は掛りませんのでリラックスした状態で臨めると思いました。自然な形での子作りでは妊娠する可能性は低いですが一度出産すると体質が変わり妊娠し易く事もあるそうなので今回は気長にトライする事になりました。


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2011年5月19日木曜日

結論

妻と第二子を作るかの議論を続けた結論は…やはり妻に負けました。
しかし今回は条件付きの合意となりました。
①不妊治療を行わない事、育児をしながら不妊治療をすれば妻の体調に負担をかけすぎるのが理由です。
②妊娠中に危険な状態になった場合は早い時点で諦める事、第一子を妊娠したときは命に換えても出産すると妻は言っていましたが今回は息子の母親ですので発作等により妊娠の継続が困難になった場合は第二子を諦めてでも妻を優先する必要があります。

2011年5月17日火曜日

案の定

産婦人科から戻ると早速家族会議が始まりました。妻は第二子を懇願し私はリスクの高さを主張しお互い歩み寄る気配も無し、私の本心は妻に万が一の事があった場合に息子が可哀想なのと私自身が緊張感満載の妊娠期間と無事に出産出来ても睡眠時間3時間の乳児期間の生活に耐えれる自信がありません。妻は兄弟が居る方が良いと主張を変えません。
約1ヶ月程平行線のまま過ぎました。家庭内は常にピリピリモードで私は精神的に追い詰められます…仕事で疲れて帰っても会話は無し、家事と育児をしてボロ雑巾の様に寝る生活が続きました。

2011年5月16日月曜日

次は?

産婦人科で定期的に健診を受けているので私も運転手として付いて行くと先生から「次はどうするの?」と言われ夫婦揃って「???」続けて「後一人は大丈夫かな」すると妻は嬉しくて今にも泣き出しそうです私は絶句…約束では一人だけのはずが妻の目は輝いています。先生には一旦保留として帰りました。再び議論する必要がありそうね。

2011年5月15日日曜日

認識の違い

私は発作を非常に恐れていますが本人は発作を見れないので「また、やっちゃった」位の認識です。私としてもあまりのギャップに苛立ちさえ覚えます。しかしある時に子供が風邪による高熱で熱性痙攣を起こしました、私は動揺しましたが痙攣には馴れているので冷静に対処しましたが隣で青ざめている妻が居ました。私が「てんかん発作はこれ以上に凄いよ」と教えてあげると私が恐がっている理由を理解してくれました。前回コメントを下さった方も同調してくれましたが実際に発作を見た人でないと恐さが分からないです。この一件から妻が少し慎重になった事が嬉しかったです。

2011年5月14日土曜日

公共の場で発作

子供が大きくなると1歳健診等と公共の場に出ていく事が増えます。私も毎回健診に付き添う事も出来ず妻に任せる時もありました。その日も健診に行っている妻から電話があり「保険婦ですが奥様の具合が変です。」と…近くに居た保険婦さんに頼んだ様です。仕事を抜けて会場に行くと別室で横になっていました。幸い痙攣はしてなく軽い発作で良かったです。後で話を聞くとざわざわした会場に居たら発作が起きてしまったとの事でした。発病後から人混みを苦手にしていたので今度からは私か他の家族が付き添う必要があると思いました。

2011年5月11日水曜日

医療費


家計に占める医療費の割合が非常に高い我が家です。発病後には破産する~と思っていましたが日本には助かる制度があり思わず「Nice!日本」と叫んでしまいそうになりました。代表的な制度としては高額医療費の還付制度(名前は自信無し)です。同月内に自己負担額が一定以上になると越えた分が戻ってきます。私の場合は8万円弱になります、手術や入院のある月には助かりました。
次は確定申告の医療費控除です。年間の医療費が10万円を越えた場合控除が受けれますがそもそも納めている税金が少ないので還付される額もしれています…しかし戻って来るなら多少面倒でも利用します!
抗てんかん薬代やMRI等で年間10万円は必ず突破します。
(私の頼りない記憶ですので最寄りの機関で確認して下さい)

2011年5月10日火曜日

叱ると怒る

子育てにおいて叱ると怒るの差に気付きます。「叱る」とは注意する事が前提であり「怒る」は感情的な怒りとなります。当然ですが子育てでは叱るが理想ですが妻は発病後から感情的になりがちで子供に対しても時折怒る事が多いです。妻に限らずそうなのかもしれませんが目につきます…やはり感情のコントロールが難しいようです。

2011年5月9日月曜日

発作への恐怖心

私は常に発作への恐怖心を抱いています。季節の変わり目や気圧が急激に変化する時は当然ですが何もない日でも気になります。仕事中に妻から電話があると寿命が縮む思いです…
知人からは恐がり過ぎと言われます自分でも分かっていますが発作時の妻の表情を思い出すと今でも胃が痛みます。先生からは薬を服用しながら治療すれば将来的に発作は治まると言われているので発作に怯えない日々が待ち遠しいです

2011年5月8日日曜日

発作の後

妻の下着を替え布団を外していると息子が目覚め無邪気な笑顔に落ち込んだ気持ちが救われる様でした。服を洗濯していると妻も目覚めました何が起きたのか分からない様子でしたが直ぐに理解したらしく泣き出し
ました。私は無言で抱きしめ泣き止むまで待っていました。確かに発作とはいえ本人が一番ショックを受けているはず…しばらくして落ち着くと布団類をクリーニング店に持って行き「子供がオネショしちゃって」と説明しました。(息子は濡れ衣)

2011年5月7日土曜日

産後初の発作

出産後初の発作が起きてしまいました。仕事中に妻から電話…嫌な予感「ご  …  め  …  ん」予感的中…息子には見せたくないのでダッシュで帰宅すると痙攣は起こしていませんでした。息子を見るとすやすやとお昼寝中…良かった。しかし妻の痙攣が始まり終わる頃には失禁してました。初めての事だったので愕然としたのと後処理をしている時に私は泣いていました。

2011年5月6日金曜日

育児慣れ

3~4時間毎にミルクを飲む時期が過ぎると私の日常にも若干の余裕が生まれてきます。睡眠時間も5時間程度取れるようになりました数か月の疲れを取るように限界まで布団に入っていました。
家族三人で外出する機会も増えて本当に子供を作って良かったと実感しました。夫婦二人だけでは残りの人生を楽しく暮らせたか分かりません…
妻の状態はと言うと季節の変わり目や気圧の急激な変化があると調子が悪いみたいですが発作には至らずに数秒間うずくまっていると治まるようです。子供の前では絶対に発作を起こさせないのが新たなスローガンです。

妻が発病してからGoogle検索は必須アイテムとなりました。少しでも分からないことがあると検索!新しい薬を貰っても検索です。感謝感謝


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2011年5月5日木曜日

妻に対する感情

睡眠不足とストレスから私の妻に対する感情にも変化が表れます。私の負荷は増えるばかりで妻から感謝の言葉も無いと私が家事や育児する事が当たり前となっていく気がしてきます。小さい男と思われるかもしれませんが妻に対しても嫌悪感が…
家に帰って来ても落ち着いて座る時間が無く全て終了して時計を見ると午前2時、4時程度ぼろ雑巾の様に眠り仕事へ行きストレスを蓄積の繰り返し…毎回愚痴になってスミマセン!
夫婦でも会話や挨拶は大事だと実感しました。夫婦だから余計に大切なのかな?

発作時の力

前にも記載したと思いますが大発作が起きて痙攣している時、妻の片手は垂直に伸びた状態で小刻みに痙攣します(片手だけ前にならえの様に)最初の頃は焦って伸びた腕を元に戻そうとしますが男の私が全力で戻そうとしてもびくともしませんでした。人間は本来持っている100%の力は出せないとTV番組で聞きました。100%の力を出すと筋肉が壊れてしまうそうです。しかし発作時の妻は抑制する事が出来ずに普段は出せない力が出てしまうのだと感じました。いわゆる火事場の馬鹿力です。
家事や育児で疲れた時は「妻に発作だけは防ごう」をスローガンに奮起していました。
今日もとりとめの無い投稿でスミマセンでした

2011年5月4日水曜日

バタバタです

GW中で今日はバタバタしてたので更新はお休みさせていただきます。
流星の絆が文庫になっていたので読みましたが面白かったです♪でも東野圭吾作では秘密や時生そして幻夜と白夜行が最高でした!皆さんも良ければ試して下さい。それでは明日

2011年5月2日月曜日

ボディブロー

家族三人での生活がスタートして私の疲労感はピークに達します。仕事と家事そして育児…母は強しと言いますが本当に尊敬します。妻にとって睡眠不足は大敵ですから毎日11時頃には布団に入ります夜の育児担当の私は次第にイライラがつのり夫婦喧嘩に発展しますが発作が恐いので最終的には私が折れる…の繰り返しです。
まさにボディブローの様にじわじわと効いてきました。

2011年5月1日日曜日

退院前の検査

息子もいよいよ退院となります。一通り検査を行い目立った点が無かったので先生からも退院の許可が出ました!これで家族三人での生活がスタートします、妻が実家には帰らないと言い出したので慌てて自宅の受け入れ体制を整えました。
とにかく初体験ばかりで夫婦揃ってバタバタの連続でした。その日の夜に妻から「夜のミルクはお願いしたい」と申し出があり渋々了承しました…何故なら夜のミルクとは午後11時と午前2時になるからです。毎朝6時に起きて職場に行き、帰ってからは午前2時までミルクとなると実際に寝れる時間は3~4時間程度です。自分の体力が心配です(泣)

妻から退院

毎日仕事帰りに病院へ立ち寄り息子の話を妻から聞いてNICUに居る息子を見てから帰宅するのが日課となっていましたが2週間程度経過した時に先生から先に妻を退院させる旨の説明を受けました。確かに妻は既に回復し入院する必要性と言えば「気軽に息子に会える」のみとなっていましたので了承し一足先に退院する事になりました。

しかし毎日病院へ通う訳ですから両親へお願いしたり電車で通ったりと運転できない妻は何かと不便です。私も先生からの説明があれば仕事を休んで病院へ通います…仕事は溜まりますが何とかなっていたのが不思議です(笑)

息子は出産直後から比べると日々大きくなり抱っこする時も安心して抱けるようにまでなりました。看護師さんから沐浴やミルクのあげ方を教えてもらいますが自信がありません。妻は産後も薬を服用しているのでおっぱいを飲ますことが出来ませんし、そもそも母乳が出てないみたいです。出産した自覚が無かったからなのか元々出にくい体質なのかは分かりませんが人工乳のみで育てます。

息子が退院したら家事に育児がプラスされるので妻の体力が心配です。



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