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2011年4月30日土曜日

保育器の外から接触

保育器には看護師さんが世話をする為の穴が開いてます。私も両腕を通して初めて息子に触りました!
温かくて生きている事を実感したと同時に私の片手で骨が折れてしまうのでは?と思うほど細い体でした。
父親になった実感はまだありませんが責任は感じていました。
妻はようやく動ける状態まで回復してきましたので次にご対面となります。
てんかんや高度脳機能障害で出産する事がいかにリスクが高いか実感しました。正直に言うと子供はこの子が最初で最後にしようと思いました

2011年4月28日木曜日

保育器の中に居る息子

かなりの低体重で産まれたのでNICU の保育器に居る状態で対面しました。はっきり言って猿のぬいぐるみです(笑)片手に乗りそうでした。
この子の命が無事だった事を何より喜ぶべきですが気になるのは奇形や障害です。最初の検査で目立った奇形は無いとの説明に安堵しました、
後は成長してから障害等の検査に入る様です。意識が回復した妻に事の経緯を説明すると「産まれたの?」とお腹をさすると「本当だ!へこんだ!」と夫婦漫才状態でした。奇形が無かったと説明すると泣きながら良かったと一言呟きました。妊娠してからずっと心配していたので肩の荷が降りたようでした。

2011年4月27日水曜日

出産

バタバタ状態での出産により、かなり小さな男の子が産まれました。当然ながらNICUへ入り24時間体制で看病されます妻もICUで看病され一人になった私は妙なテンションで仕事に向かいました。

無事に出産されましたが産まれた子供が障害を持っているかは不明です。かなり危険な状態で仮死状態になっていた可能性もあるようです。十分な酸素が行かず脳に障害で出るかもしれないと残酷な説明を受けました。


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2011年4月26日火曜日

最悪の事態(2)

救急車で大病院へ再度搬送されましたが道中にも発作を起こしました。もう何回目の発作か分かりません…子供が無事に産まれる可能性が薄れていくのを感じました。妻も発作の度に体を痙攣させ顔は引きつったままになっています最悪は妻も失うかも…私の思考回路は悪い方へ悪い方へと流れて行きます。

病院に着くと直ぐに手術が始まるかと思えば手術の説明・同意書への記入等々、大事だと思いますが何とももどかしく「任せるから早く手術して下さい!」と言いたい気持ちを抑えサインします。

手術が始まるとお互いの両親が到着し経緯を説明し無事に出産されることを祈りました。

………手術中は普段の数倍時間が長く感じます。何時間待ったか覚えていませんが煙草が一箱無くなっていたのは覚えています。 そして

手術が終了し先生が出てきました。「無事に産まれましたよ、体は小さいけど元気な男の子です」と話を聞きながら涙がこぼれました「奥さんも現在は意識は無いけど大丈夫だと思います」

まさに奇跡としか言いようが無いです!産まれた子供は落ち着いてから検査を受ける事になるようです。徹夜でしたが疲れはありませんでした


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2011年4月25日月曜日

最悪の事態

臨月近くになったある日、夕飯の準備が早くに出来てしまったので先にお風呂に入ることを提案し先に私が入りその後に妻が入りました。妻が風呂から出てくると「頭が痛い」と横になりました。冷静に考えれば食事前の空腹時に体力を消耗するお風呂に入れば危険なことは明白でしたが当時の私は軽率だったと言うしかありません。

妻は次第に意識が薄らぎ発作が始りました。今までに無い程の大発作で舌を噛んだようで口からは血が流れてきました急いで救急隊へ電話して産婦人科へ搬送しますが今回は大発作が連発で起き手がつけられません。救急車の中でも産婦人科に到着してからも治まる気配が感じられません先生からは「当院での手術が難しいから急いで大きい病院へ搬送する」と直ぐに手術が行える病院を探し始めました。お腹の中に居る胎児の心拍も乱れてきて危険な状態となります。想定していた最悪の事態が現実のものとなりつつありました。(二人とも失ってしまうかも…)

胎児をこれ以上、お腹の中に留める事は危険過ぎるので予定日よりかなり早いけど帝王切開で出産させる事になりそうです。

自分の何気ない提案から最悪の事態を招くとは…痛恨のミスです。


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2011年4月24日日曜日

いよいよ臨月間近に!

困難を何とか乗り越え臨月間近まで辿り着きました。てんかん発作のリスクから通常分娩を避け帝王切開で出産することが最初からの約束事になっていたので産婦人科の先生と出産予定日を打ち合わせることになりました。妊娠するまでもそうですが、妊娠中の血中濃度管理・栄養管理そして出産予定日も管理されまさに至れり尽くせりな妊娠となりました。

胎児も大きくなり人としての姿がはっきりしてきたので後は発作を起こさずに出産するだけです。私も慢性的な緊張感から解放される日が近いと思うと嬉しくなります。子育ては大変だと思いますが精神的に削られるよりかは楽だと想像する日々でした。


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2011年4月23日土曜日

てんかん発作 再び

日常生活が辛くなってから再び発作が起きてしまいました。嫌な予感はしていました…私が出来ることは最大限努力したつもりでした家事(洗濯・掃除・たまに炊事)を行い、仕事も早めに切り上げ妻の側に居るようにしていましたが就寝中に振動が伝わってくると妻が痙攣していました。

しかし、今回は痙攣していた時間は短く呼吸も止まらずに済みましたので救急車を呼ぶこともなく次の診察時に報告することにしました。

発作が治まると数時間はボーとしていますが、その後は何故かスッキリした顔をしているので妻に聞くと「発作が起きる前よりスッキリしている」と…日常的に蓄積されて発作が起きるとクリアされるようなイメージだそうです。(医学的には分かりませんが)何となく地震に近いメカニズムかな?

《余談》
最近になり、ブログのページビューなるものを発見!(遅い?)だいたい一日平均100件のページビューがあるみたいです。こんなに閲覧していただけるとは思っていなかったので本当に嬉しいです。

更にブログ登録中に勢いで掲載したGoogleの広告にもクリックのカウントが僅かながらもありました。間違ってクリックしたならゴメンなさいm(__)m 気が向いた方は励みになりますのでお願い致します。



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2011年4月22日金曜日

赤ちゃんの性別

胎児が大きくなると性別が分かるようになります。我々も気になるので先生に教えてもらいました「男の子ですよ」と実際には男か女かは問題ではなく無事に産まれることが大事なのですが嬉しかったです。性別が分かると無事に生きて成長していると実感できるのと、何となくですが男の子が欲しいと漠然と思っていました。

お腹が大きくなると日常の生活も負荷がかかるようになり、常に体調が悪そうでした。足のむくみや腰の痛みそして頭痛…嫌な予感が



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2011年4月21日木曜日

血中濃度の低下

発作を起こし入院していた妻が退院し、脳外科へ診察に行きました。血中濃度を測定するのが目的ですが実際に測定してみると驚くほど低下していました。大きく成長している胎児に血液が流れていることが低下の原因となります。先生からは薬の量を増やして血中濃度を安定させる必要があると言われ同時に産婦人科での診察を受けるように指示されました。

再び産婦人科へ行き薬が増えたことを説明すると葉酸が不足するかもしれないのでサプリを飲むように指示されました。

帰ってきた妻は今まで以上に胎児へ気を配るようになり発作の再発を恐れていました(私も同じです)

ちなみに私たち夫婦の両親は子供を作ることには反対でした。理由は「リスクが高い」…当然です。
妻の両親は妻から力技でねじ伏せ、私の両親には理由を説明し理解してもらいました。実際には楽しみにしているみたいで残り数か月を無事に過ごし最終的に元気な赤ちゃんが産まれれば言うことなしです。


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2011年4月20日水曜日

妊娠中の食事

妊娠してからの妻は極度の神経質になり10ヶ月間も続くのかと思うと私の方が先に倒れてしまいます。基本的にピリピリしていて私が冗談を言っても反応なし…食事も野菜など食物繊維を取ることが最優先でお肉が稀に登場しますが湯通しされています。
妊娠中は便秘になるらしいので食事で改善を試みているようですが私は元々快調な方ですので影響をモロに受けてしまい慢性的な下痢状態でした(汚い話でゴメンなさい)
しかし妻に文句を言えば「非協力的な夫」とレッテルを貼られることが目に見えているので無駄は争いは避けます。

本当に弱い夫です…




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2011年4月19日火曜日

発作の原因

胎児に異常は無かったのは不幸中の幸いですが、今回の発作は原因が思い当たりません。脳外科の先生に電話で確認すると「妊娠により血中濃度が低下したかもしれないから退院したら診察に来てください。」との事でした。頻繁に血中濃度を測定し安定していましたが急激に下がっていたとなると今後の体調管理も非常に難しいと感じました。

入院中の妻は病院に居る安心感からか、非常に安定していてまるでホテル暮らしの様な優雅さを感じました。私は自宅で一人暮らしですが食事は外食のみで妻が退院するまでに体調を崩してしまいました。唐揚→とんかつ→カレーのローテーションを1週間程度続けると胃腸がもたないみたいです…


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2011年4月18日月曜日

妊娠中のてんかん発作

発作を最大限に注意し、恐れていましたが起きてしまいました。

私が仕事中に妻から電話(嫌な予感)
妻「あ…お…ごめ…………」
私「分かった!すぐに帰る。」 発作時の会話はこんな感じです。

仕事を中断して自宅へ帰ると玄関でうずくまっていました。すぐに救急隊へ電話して数分後に救急車が到着しました。救急隊に症状を説明すると「脳外科のある病院を探します」と電話を取りましたが私は「産婦人科へ運んでください」と、救急隊は不思議そうな顔をしていたので「てんかん発作は時間が経てば治まるけども胎児に影響が無いか心配だから産婦人科へ運んでください」と今回の事情を説明しました。救急隊の方は急いで掛かりつけの産婦人科へ受け入れの確認をして急行しました。

産婦人科の先生に真っ先に胎児の状態を確認してもらい「異常は無いと思います」と…ホッとしましたが先生からは続けて「念のため奥さんは一週間程度入院した方が良いと思いますよ」

当然指示に従い意識が回復した妻にも状況を説明した上で入院手続きと準備の為に自宅と病院をピストン輸送しました。胎児に異常がないと知った妻は涙を流しながら私に「ゴメンなさい」と繰り返し謝っていました(謝ることなど何ひとつ無いのに…)


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2011年4月17日日曜日

妊娠による体調変化

先日は私の体調不良で申し訳なかったです、無事に復活できましたので更新を再開します。

妊娠して数ヵ月後に胎児の器官形成期が到来しました。当初の予定通り薬の量を限界まで下げて胎児への影響を軽減させます。妊娠してから妻の体調は不安定になり、常に発作の影を感じていたのに更に薬を下げて大丈夫なのか不安になりました。

妻の体調が不安定になったのは流産の心配からだと妻は話していましたが、おそらく胎児の障害(奇形)への心配も強いと思います。

そんなに心配なら子供を作らなければ…?と思う方も多いのでは実際に言われたこともあります。

病気により、多くの能力を失った妻に子供を作る機会まで奪う事は出来ません。これが私が出した結論です無事に出産できても多くの困難が待ち構えているのも安易に想像できますが、これら全てを受け入れることが私の進む道であると覚悟しています。


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今日はお休み

私の体調が崩れてしまったので本日はお休みさせていただきます。
明日は復活出来ると思います…

2011年4月15日金曜日

抗てんかん薬

抗てんかん薬には多くの種類があり、妻が飲んでいるのは「セレニカR」です発病から数種類を渡り歩き比較的 副作用が出ないということで定着しました。

抗てんかん薬の副作用は色々ありますが妻は眠気が強く出るみたいで薬が合わないと猛烈な眠気が妻を襲います。日常生活は当然ですが、立っているのも辛いようでした。

合う薬を探すのが如何に難しいかを痛感しました。


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2011年4月14日木曜日

血中濃度の重要性

前にも記載しましたが妊娠期間中における「抗てんかん薬」の血中濃度は非常に重要となります。妊娠することにより、妻の血液は胎児にも流れていきます。当然のことながら胎児にも「抗てんかん薬」の成分が吸収されてしまうので薬をたくさん飲むと「二分脊椎症」等の障害が胎児に出てしまいます。では薬の量を下げてしまうと胎児にも血液が回るので妻の血中濃度が下がり発作のリスクが高くなります。発作が起きてしまうと妻の呼吸が一時的に停止するので胎児は無酸素状態に陥り危険な状態になります。

長々と書きましたが結論としては「発作を起こさないギリギリの量を維持する」となります。

産まれる子供が障害を負ってしまった時の事も考えました。何事も無ければ子供は親より長く生きるのでリスクがあると分かっていながら出産することは無責任と言えるかもしれません…もし、子供が障害を負って生まれてきた時には自分たちの幸せを放棄してでも育て可能な限りの財産を残すと誓い不妊治療を行いましたので、「今時分たちが出来ることを可能な限り行う」が夫婦のスローガンでした。

産婦人科の診察・脳外科での血中濃度測定と毎週病院へ通っていました。



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2011年4月13日水曜日

妊娠生活始まる

顕微授精にて妊娠したことにより治療中のピリピリ感が薄れると思った私は考えが甘かったです。妊娠が分かった瞬間の喜びを持続していた私とは違い妻は流産を気にして前よりピリピリしています。これでは10ヶ月経つまでに妻の精神状態が崩れるのではと心配になります。

妊娠中は家事の負担が更に増え、食事も食物繊維を取れるようにキノコや野菜中心になりました…たまにお肉が出てきても湯通してあるので私は満たされずに会社から自宅へ帰る途中にコンビニでパンを食べてから帰宅していました。

妻の精神状態も心配ですが私の精神状態も危なくなってきます。発作の兆候も徐々に出てきていました、意識を失うほどではありませんが頭痛を訴えてくることが多くなりました。

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2011年4月12日火曜日

いざ顕微授精!

顕微授精の治療が始まりました、途中までは体外受精とほぼ同じ内容でしたので気持ちの準備や覚悟もあり無事に終了しました。今回も卵子を複数個採取して精子を挿入していきます、体外受精と違い完全に人工的でした…よくTV等で見かける卵子を針のような物で刺し精子を注入する感じでした。

おかげで今回は受精卵が複数個出来ました。状態が良い卵を妻の体に戻して着床するのを待ちますが再び緊張の連続で嫌な予感がしてきました。

結果は……「おめでとう!」と先生から言われました。二人で「やったーーー!」と喜び、妻は涙。私も気がつくと泣いていました不妊治療を始めてから2年が経過していました。

しかし先生からは「これからが難しい、無事に出産できるように脳外科の先生と連携を取りながら進めましょう」と本当に先生に恵まれました。

今後、てんかん発作を持つ状態で出産することの難しさを痛感します。


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2011年4月11日月曜日

顕微授精

てんかん発作からも回復し、いよいよ顕微授精を受けることになりました。説明のときに先生から「顕微授精で産まれた人は順調に成長しているが通常に出産された人と同じだけ寿命があるか分からない」と言われました。当然、通常の人と同じ位の寿命にはなると思うけど顕微授精で生まれた人が寿命を全うしていないから、この説明が必要との事でした…(妙に納得してしまいましたが心配はしなかったです。)

次に費用の説明でしたが金額は言えませんが我が耳を疑いました。後日談ですが近隣の病院に比べると安い方でしたが金額自体にビックリでした。治療方法は途中までは体外受精と同じになるので連日の注射が再び必要になり正直1回勝負だと思いました。

妻にも顕微授精は1回勝負でと確認すると妻も「顕微授精で駄目ならお金が貯まるまでタイミングでお願いします」と分かっていたので若干安心しました。顕微授精をするまでの治療費に顕微授精を後数回すると破産です…

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てんかん発作の恐怖

体外受精の失敗から数日後に発作が起きました。やはり深夜に振動が伝わり目を覚ますと妻が痙攣していました、前回の診察時に「発作が起きたら楽な体勢にしてあげて、時間を計ること。舌を噛み切ることはないから口に何かを詰めては駄目」と教えられていたので比較的冷静に対応できました…が常に膝はガクガク震えて感じていた時間は10分以上でしたが計った時間は3分弱でした。
救急車を呼ぶことも病院へも行きませんでした。(先生から落ち着いたら大丈夫と聞いていたので)発作が起きると2~3日は言葉や思考がまとまらなくなるので、なるべく側にいるようにしますが、私にとってはトラウマになりそうです。


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2011年4月9日土曜日

体外受精の結果

緊張感を保ちながら産婦人科へ結果を確認しに行きました。

すると「妊娠の反応が出ています。」との事!二人の顔から力が抜けていきます「良かった~」と喜びますが先生からは「まだ確定は出来ないから安静に」と…

それから数日後に生理が来てしまいました、妻の落ち込みようは凄く目がはれるまで泣いていました。体外受精に必要な時間・費用それから大きな期待からの絶望感で夫婦間で不妊治療に関する会話は一切無くなり一ヶ月程度が過ぎました。何となく諦めムードが漂う日々が続きましたが、妻から「顕微授精に挑戦していい?」私は「良いよ」と答えました。

「もう行けるところまでやるしかない」です。

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2011年4月8日金曜日

受精卵!

体外受精を実施して数日後に病院へ行くと先生から受精卵が出来たと知らされ二人とも喜びました。私はこれで妊娠出来ると思っていましたが、妻と先生から「着床しないと駄目!」と同時に突っ込まれました。「着床?」 先生からの説明では受精卵を妻の体に戻してから根付かないと妊娠にはならないことを教えてもらいました。しかし卵子は複数取れましたが受精卵になったのは一つだけ…ワンチャンスに賭けることになります。

受精卵を戻してからの妻は極度の緊張から声を掛けるのも出来ませんでした。駄目だった時に立ち直れるのか心配で我が家には緊張と心配が渦巻いていました。


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2011年4月7日木曜日

だらしない夫?

今までの投稿を改めて見ていると私は妻の言いなりになっている事が分かります。「情けない」とか「自分の意思が無いか?」と感じている方もいるかもしれません。実際に私は知人や近親者から似たような事を言われていました…

自分でも分かっています。しかし発病後の話せない・動けない妻を何とか励まそうと自分なりに努力し「妻が欲することで自分に出来ることは可能な限りしてあげよう」と思い仕事の仕方を変え帰宅時間を早め、帰宅後は家事の多くをして妻がリハビリに専念出来る時間を捻出し、てんかん発作の原因に疲労が考えられると言われれば今まで以上に疲れないようにあれこれ考えてしまいます。

自己犠牲に酔っているいる訳では無いのですが時々悲しくなります。(俺っていったい…)と

ブログを始めて約1ヶ月が経ちページビューが2,000を突破しました。自分の覚え書き程度に始めたブログを多く方に見ていただいて感謝です。コメント等いただきましたら励みになりますのでお気軽に書き込んで下さい。

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2011年4月6日水曜日

授からない命

数ヶ月間に渡ってタイミング療法を試みますが妊娠の兆候すら無く、次は体外受精を行う事になりました。体外受精は卵子に直接精子を送り込む方法だと思っていましたが、それは顕微授精と呼ぶみたいで完全に勘違いしていました。体外受精を始めてから妻は一ヶ月間薬を服用し排卵を防ぎ、更に注射を一週間程度毎日射ち通常であれば一個しか排卵しない卵子が複数個排卵します。複数個排卵された卵子を採取しシャーレ(容器)の中で精子をかけて受精を行い培養するとの事です。

この方法は女性への負担が非常に大きく心配でした。特に毎日の注射が大変で妊娠・出産となると男は無力だと痛感します。生まれ変わっても男が良いと感じました…

ちなみに、この文章を入力して気付きましたが 「体外精」 「顕微精」 顕微授精は受では無く授と手へんが付くことに気付きました。顕微授精は人工的に受精するからになるんですね。




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2011年4月5日火曜日

不妊治療と夫婦の関係

不妊治療の話しが続きますが治療には時間とお金が掛かります。チャレンジは月に1回ですが診察には数回行き必要な時は薬を貰います。又、脳外科では頻繁に血中濃度を測定するので受診及び採血が必要となり我が家の医療費は莫大な金額となっていきました。

費用が掛かるにつれ駄目だった時の喪失感は増していき夫婦の会話も少なくなり、タイミング療法の為だけに愛し合う事も苦痛に感じて次第にケンカが多くなりました。

妻が発病後で仕事が出来なくなった今、私の安い給与だけが頼りとなり毎回病院に支払う金額を見ると心配になり一人で病院に行けないので平日は会社を休んで病院へ行きます。仕事が滞り家計も心配となれば無理に子供を作る事に対する疑問が再燃し夫婦関係は最悪な状態でした…産婦人科では不妊治療と思われる人が多く来院し治療を受けていました中には夫婦で協力的な会話をしている夫婦や私達と同じように険悪な雰囲気が漂う夫婦もあり、気持ちを落ち着けて協力的になろうと努力しました。



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2011年4月4日月曜日

いざ不妊治療へ

半年間の血中濃度測定と不妊治療の検査を行い血中濃度が安定してきたので、いよいよ不妊治療を開始する事になります。まずはタイミング療法からスタートです、産婦人科の先生が体温を確認して子供を作る日を指定します。毎月3日間程度連続で指定されますので妻の体調が心配になってきますが目標を持った妻はたくましく全く平気な様です。(平気に見せていただけかも知れませんが…)

私としては完全に義務付けられると辛い部分もありましたが妻に引っ張られる感じで一緒に努力しましたが簡単には行きません。強く望めば望むほどに遠くに感じるように思えてきます。

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2011年4月3日日曜日

血中濃度について

発作が起きるまではあまり意識していませんでしたが薬を服用すると血液の中に薬の成分がどの程度含まれているかにより、薬の効果を判断するそうです。抗てんかん薬にも有効血中濃度があり、下がり過ぎると発作が起きやすくなり、高すぎると副作用が出てきます。
抗てんかん薬を服用しながら妊娠すると服用していない人に比べて奇形児が産まれる可能性が若干高くなりますので、あまり薬の量を増やしてしまうと奇形児になるリスクが高くなります。しかし妊娠中に発作を起こして無呼吸状態になると胎児も無酸素状態になる為、様々なリスクが考えられます。
結論としては、妊娠初期にある胎児の器官形成期(胎児の臓器が出来る時期)は副作用が怖いので薬の量を減らしこの時期を過ぎれば薬の量を増やして発作が起きないようにする事が大事です。

こんな事が出来るのか…と疑問に思いつつ血中濃度の計測と不妊治療の検査に明け暮れる半年間でした。

※これは私が体験した時の話しで病院または新しい薬や技術により、当時とは状況が異なる場合がありますのでご了承下さい。

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2011年4月2日土曜日

脳外科にて

脳外科へ妻が妊娠可能か確認しに行くと「大丈夫だよ」とあっさりGOサインが出ました。しかし血中濃度の管理を定期的に行う事と現在の血中濃度が安定するまでは禁止となりました。とりあえずは半年間程度、濃度の測定に入る様なので同時に産婦人科で不妊治療を受ける事になります。
我々夫婦は子供ができにくいので、この半年間は不妊の原因追求にあて、濃度が安定したら本格的にスタートとなります。妻が病気なのか疑う程段取りが良い…

2011年4月1日金曜日

夫の苦悩

妻の子供が欲しいと強い意志を受け早速、産婦人科へ行くことなりました。産婦人科の先生に相談すると予想通り難しい表情で「リスクが高い」と言われ、まず脳外科の先生に確認をする様にとの事でした。私は正直に言うとホッとしました、健常な女性でも妊娠・出産はリスクを伴うのに脳出血の後遺症とてんかん発作を併せて持つ妻が無事に出産出来るのか…もしかすると今度は妻を失うのではないか?と思う気持ちから妊娠・出産に対して否定的な姿勢をとる様になりました。
数日後の買い物途中に私が妊娠を諦める様に諭すと突然、妻はショッピングセンターの防火壁に走り出し頭をぶつけようとします。私は慌てて止めに行くと「子供を作る事が出来ないなら生きている意味が無い」と…結局、私が折れて「子供を作る努力はするけど出来なかった時は諦めれるか?」と確認すると「無理なら諦めて違う人生を考える」との事。

やはり妻の思い通りに事は運びます…日常生活でも心配で辛いのに妊娠・出産・育児出来るのか苦悩が続きます。

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