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2011年11月15日火曜日

薬の増量

最近、小さな発作が群発していたので主治医に相談しました。やはり小さいとはいえ発作は無くさないといけないので薬を微増することになりました。以前も増やした事があり、その時は副作用の眠気が強すぎて日常生活が出来なくなったので微増です。なかなか難しいです

2011年11月5日土曜日

危険な季節

ここ最近の気候が妻の体調を狂わせています。上着を羽織る日があるかと思うと夏日に…健常者でも付いていけないのに妻的には厳しいです。
普通に話していても突然、返事が返ってこないと思うと言葉が分からなくなっています。一分程度で回復しますが心配です。

2011年11月3日木曜日

世間の目

妻は病気をしてから仕事をしていません。特に用事がなければ自宅で子供と一日を過ごします、主治医から運転の許可を得てますので近場の買い物に行く程度です。子供を保育園に通わせているので育児の負担も軽減されています。私が帰宅してからは家事や育児を行いますので可能な限り行います。

しかし、妻は普通にしていれば健常者と何も変わらないので周りから「仕事は何しているの?」等と質問されるようです。すると妻は(自分は怠けているのでは…)と忙しくしないといけないと言う思考になり自分を追い込んでいきます。

以前に妻を健常者として扱ってしまうと記載しましたが、本人も自分を健常者として考えているようです。主治医からは周りにいる人に助けてもらいながら生活して下さいと言われているので再度確認しあいました。

最近軽度の発作が頻繁に発生しているので不安です。季節の変わり目や気温の変化が激しい時は要注意ですね



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2011年10月31日月曜日

仕事との両立

家事と育児と仕事の両立は難しいです。妻の事も心配なので早く帰宅することを優先しているので尚更です。結論から言うと仕事を犠牲にしてます。ギリギリの状態でまわしていますが当然ミスが多発するし帰る時も不安になります。妻が病気した時に仕事量を減らす様に頼みましたが変わらず今ではプロジェクトの責任者的な立場になっています。これが終わったら辞めようかと考えますが就職難の時代に中年で家に問題がある人を雇ってくれる会社なんて無いか…と堂々巡りです。
周りからは毎日早く帰れて良いなと言われますが気がすむまで働ける事も羨ましくなります(無い物ねだりかな?)支援制度とかあれば良いのに…

2011年10月26日水曜日

愛の対義語

確かマザー・テレサの言葉だったと思いますが『愛の対義語は憎しみではなく無関心』の様な内容だと(間違ってたらゴメンなさい)
しかし本当にそうだと思いました。私としては無意識でしたが以下の様な感じで負のスパイラルが起きていました。
①妻との関係が悪化する
②妻にたいして苛々する
③苛々した自分が嫌になる
④子供達が不安になる
⑤子供達を叱る事が増える
⑥家中が冷えだす
⑦無言・無関心になる
このまま行くと危ないと気付き数日間掛けて元の状態になりました…
話し掛けられても『ふ~ん…』としか返してない事に驚きました(笑)
自分の気持ちが受け入れられないからと攻撃的にならずに関わらない事を選択した方のは楽で自分が傷付かなくて済むからです。
しかし家族が駄目になると本気で感じました。ちゃんと向き合って解決するしかなく取りあえず、もう一度妻を愛するから始めます。

2011年10月25日火曜日

KEIKOのくも膜下出血

度々放置してスミマセン!
ニュースでglobeのKEIKOがくも膜下出血で倒れた事を知りました。
globe自体はあまり聴いた事ありませんが2週間位は急変があるようなので小室さんも心配だと思います。
無事に回復しても後遺症や再発のリスク等これから大変だと思います。
私も発病直後よりもその後の日々が大変だと思うことがあります。知らずに妻を健常者として扱う様になり『どうしてこれ位!』と苛々してしまいます。冷静になると酷いことを言ったと後悔…これの繰り返しです。
また更新するように努力しますので良ければ覗いて下さい。

2011年9月28日水曜日

仕事が…

仕事がかなりハードになって来たので更新が滞り申し訳ありません。 m( .  . )m
私は社内でも異質な存在になっていて男性陣では一番に帰ります。早く帰宅し家事・育児をしないといけないので日中は早く仕事が終えれる様に一人でアタフタとしています。しかし会議等が入ると私一人の力ではどうにもならなくなり帰宅が遅くなります。

私としては遅くなる予感がすると休憩中に「遅くなるメール」を送り会議でも一分でも早く終わるように努力します(ほとんどが徒労ですが)会議が終了して焦りながら妻に電話するも出ない…
猛スピードで帰宅し、開口一番「ごめん!遅くなった」と謝るも無視…

普段通りの時間に追いつくと妻もようやく通常モードになりますが、私はヘトヘトになります。

会社での付き合いを一切断り、友達と遊びに行くことも無くなり更に妻に無視されると辛くなります。
世間でも同じなのでしょうか?お父さんは悲しいです。
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2011年9月19日月曜日

視界不良

発作の後に妻と話した内容ですが発作が始まる前に視界が悪くなります。私達はそれを発作の前兆として考えています。
具体的に説明すると右側45度の視界が無くなるそうです。眼球は右を向いていても認識出来なくなり発作後も数時間続きます。
目が見ていても脳が認識しなければ見えてないと言うことでしょうか?

2011年9月18日日曜日

久しぶりの大発作

なかなか投稿できずに申し訳ありません。
先日、妻が発作を起こしました。お風呂から上がった妻に私が声をかけると「?」と全く理解出来ない様子…数分後には良くなったみたいで会話が成立するまでに回復しましたが、1時間後に突然うずくまってしまい意識が朦朧としている状態になりました。
子供たちに発作は見せたくないので別室で寝かしつけ妻の様子を再確認しに行くと右手の痙攣が始まっていました。「病院に行こうか?」と問いかけると首を振り拒否します。言葉が通じるから大丈夫と思い様子をみていると両目が右に寄ってしまい、痙攣も手から腕へ移行し大きくなりました。
発作も1時間以上が経過していたので救急車を呼び病院へ搬送。
点滴を打たれ暫くすると入院が決定しました。発作を起こすと顔がむくんだ様になり、目にも力がありません。「もう少し早く救急隊へ電話をしていれば…」と自分の決断力の無さを悔やみながら病院と自宅を徹夜で往復していました。
翌日には退院できましたが今回の発作は大きな発作と言うよりは中程度の発作が長時間続いた事に驚きました。救急車の中でも痙攣していたので1時間30分は発作を起こしていた事になります。
最近、妻に対する不満からか無関心になっていたかもしれません。人生唯一のパートナーとして今後は注意を払うつもりです。
「愛情の対義語は憎しみではなく無関心」何かのテレビで聞いた言葉です。反省…






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2011年9月9日金曜日

てんかん気質?

前にも記載したかも…と思いつつやはり気がかりです。てんかん発症後から妻の性格に変化があり大きな所としては次の通りです。
①突発的に攻撃性が増す
②几帳面になった
③批判的になった
④自己中心的になった
です。①は主に子供へ向けられます。暴力はありませんが怒鳴り最後は泣いてしまいます。
②③は元々あった部分が強くなった印象です。
④は病気を言い訳に自分の思い通りにしている感じです。
①と④は深刻です。正直離婚を考えてしまう事も多々あります。

2011年9月5日月曜日

ご無沙汰してます

更新が滞り申し訳ありません。久しぶりの台風接近でしたね、気圧が下がり妻の体調が悪くなり辛い週末でした。月の満ち欠けや気圧の変化が体調に及ぼす影響が結構多く驚きます。健康な時はあまり感じませんが病気や怪我をすると何らかの変かを感じるそうです。

2011年8月20日土曜日

夏祭り

近くの町で夏祭りがあり寄ってみると何と!『U字工事』が…テレビで良く見るのに営業御苦労様です。と思わず声をかけたくなりました。
急に涼しくなったので子供達が風邪をひいてしまいました。皆さんも気を付けて下さい。

2011年8月4日木曜日

夏風邪注意

この時期が来ると子供が体調を崩しやすくなります。今は手足口病が猛威をふるってる様ですが子供が風邪になると当然の事ながら妻に感染する可能性が高くなり過去にも数回高熱でダウンした事があります。高熱が出ると著しく機能が低下するみたいで我が家の機能も半減してしまいます。後、発作も誘発されそうで心配なので今後は注意が必要です。
最終的に私にまで回り40度の熱にうなされた事もありました…

2011年8月1日月曜日

久しぶりの投稿

私が精神的な限界に達しようかと言う状態でしたのでブログをすっかり忘れていました。申し訳ないです…原因は夫婦生活が復活しない事にイライラしていた事です。『またか…』と思われますが完全に無いと余計に執着してしまうので自分でも腹がたちます。毎週末になると言い訳の様に『体調が悪い』と訴えられて誘われる事すら拒みます。当然、私も誘いません遅くまでテレビを観てから寝室に入るので妻は爆睡状態です。このままでは浮気や不倫に走ってしまいそうになるのをこらえながら日々です。愚痴ばかりで申し訳ないですが同じ境遇の方がみえましたら是非コメントをお願いいたします。

2011年7月20日水曜日

不自由感?

妻が発病してからの私は家事や育児に努力してきたつもりですが稀に不自由を感じる時があります。
発病後から絶っている事
①飲み会
②休日の単独行動
③残業
④社員旅行
こんな感じです①②は時々願望に負けそうになると全身からイライラのオーラが発生し、家族全員に伝染します(笑)なので気をつけてます。
③④は本来はしたく無いので問題ありませんが会社での立場が段々と厳しくなってきます。特に③は周囲からの反感を抱かれやすいのでバランス感覚が大事です。
と何かと不自由さを感じます…

2011年7月14日木曜日

欠けている辛さ

脳卒中で後遺症が残ってしまい、リハビリにより劇的な回復を果たしても発病前には戻れません。私の妻も同様ですが周りから見ている人は『こんなに回復出来て良かったね』と言われます。本来は喜ぶところです、しかし実際には複雑な気分です…例えるなら足の指に小さな棘が刺さっているだけでもストレスになります。後遺症が残っている人達は他人には理解されない苦しみを抱いて残りの人生を送ることになるので安易に良かったね』とは言えないです。

2011年7月13日水曜日

右側の注意

妻は発病後からよく体を家具や壁にぶつけてしまいます。TVで脳卒中の患者さんが同様の症状を訴えているのを見ました。本人は無意識みたいですが見ていると危ないと思う事が多いです。一見すると大病を患ったとは思えない程に回復していますが本人としては毎日が後遺症との戦いです。皆さんも早期発見により軽く済むことが多いので脳ドック等をお薦めします。

2011年7月11日月曜日

再びレスに

二人目を作る前に妻と子作りの道具にはなりたく無いから産後安定したら関係を戻すとの約束で作りましたが無事に出産出来ると何かと理由をつけて拒まれます。大方予想通りとは言え哀しくなります。やはり母性なんでしょうか?待つしかないです…

2011年7月9日土曜日

梅雨明け!

梅雨が明けました!梅雨時は妻の調子が悪く心配事が増えますが、ようやく明けました。しばらくは安心出来ますが次は台風シーズンが到来すると気圧の変化で発作が起きやすくなります。安心出来る時期が少ないです。

2011年7月1日金曜日

軽度の発作

息子が幼稚園に通いだすとイベントの多さに驚きます。妻は慣れない人達の中で与えられたカリキュラムを行う必要性があるので非常に疲れて帰宅します。希に軽度の発作を起こしてしまいます。子供の前でよその母親が簡単にしている事が出来ない自分を見せたくないので必死になって疲れる様です。小学校に入学しても同じ事が起きる訳で悩みます。

2011年6月21日火曜日

断念…

新薬に挑戦しましたが、やはり副作用が強すぎるので諦める事になりました。日常生活も厳しくなっては仕方ありません…元の薬に戻して血中濃度の安定を待ちます。副作用が強く出る体質なのか難しく、また別の新薬が出るまで待機状態です。
皆さんが安定している薬があれば教えて下さい。お願いします!

2011年6月19日日曜日

副作用

新薬を試して数時間後には副作用である眠気と目眩が強く出ました。先生からも飲み始めは血中濃度が安定しないので副作用が強いと聞いていたので、とりあえず我慢します。
しかし、立っているのも辛い程の強い眠気に心配になります。
今まで飲んでいた薬も副作用が無いわけでは無く常にボーとしてしまうみたいで副作用が少ない薬は試したくなる様です。

2011年6月17日金曜日

新薬

妻も体調が整いだしたのでネットで見つけた新薬を脳外科の先生に話すとあっさりと『試してみようか?』と快諾。今後は出産する事を禁止されているので、発作を心配せず快適な生活を送れる様にする事が最優先されます。
まさにquality of life です。今まで薬に敏感な反応示していたので心配でしたが試さなければ前進出来ないので頑張ります!

2011年6月13日月曜日

二人目の難しさ

よく二人目が出来ると上の子が焼きもちを焼くと聞いていましたが本当に大変です。下の子に手を焼いている時にあえて話しかけてきて中途半端な返事をするといじけてしまいます。私か妻のどちらかは気に掛ける様にしていても難しいです。妻も疲れ気味でてんかん発作が起きてもおかしくない状態です…軽いパニックです

2011年6月8日水曜日

再び不眠不休

二人目が産まれてから3時間睡眠の生活が戻りました。今回は長男が居て妻と一緒に寝たいと甘えるので完全に私が赤ちゃん担当に…一人目とは違う事に気付きました。下の子に焼きもちを焼くのでケアが大事になります。知識としては知っていましたが、ここまでとは…ぐったり

2011年6月6日月曜日

今後のブログについて

前回のブログで回顧録は終わります。少しでも多くの方にてんかんを知って欲しくて始めたブログでしたが思っていた以上に訪問していただき誠にありがとうございました。ブログの継続について悩みましたが今後は日常の出来事等を日記の様に書きたいと思います。今までお付き合いいただき感謝です!

2011年6月3日金曜日

出産!

何の問題も無く臨月までたどり着くと発作のリスクを回避する為に帝王切開で出産します。ここまであまりに順調だったので最後にトラブルが起きないか心配でしたが無事に出産!子供も異常はありませんでしたが早くに出産したのでNICU へ入り様子を見ることに。計画を立ててくれた脳外科と産婦人科の先生に感謝すると共に周りの人に支えられて生きている事を実感しました。

2011年5月31日火曜日

安定的な妊娠期間

今回の妊娠期間は非常に安定していましす。大発作は当然ありませんし小発作もほとんど無い状態です。
妊娠前に比べると薬の量が増加しましたので血中濃度が安定するまでは辛そうでしたが脳外科の先生が上手くコントロールしてくれたおかげで眠気も強くありません。
しかし増えれば奇形リスクが高まるので別の心配はあります。
早く無事に出産される事を祈るしかない自分がもどかしい…

2011年5月29日日曜日

第二子の妊娠とは

妻が妊娠してから気付いた事は一人目とは全く違うという事です。楽になった点は先に待ち受けている事が分かるので準備が出来ます。薬の量が変更される時期や症状など一人目ではあたふたしていましたが落ち着いて対応出来ます。難しくなった点は第一子が居る事です。(当たり前ですけどね)妻のフォローと子育てを同時に行うのは困難でした。妻の体調が悪ければ出掛けずに家に居るのが安全ですが子供は遊びたいのでぐずります…バランスを保つのが難しいです。

2011年5月27日金曜日

薬の増量

妊娠が判明するとすぐに脳外科へ行き報告します。先生は喜びながらも真剣な表情で「今回は薬の量を増やします」との事、第一子の時に大発作を連発し危険な状態に陥った事を踏まえて奇形児のリスクより発作のリスクを優先した様でした。薬の量が変わると妻の体調は悪化しますし今回は子育てをしながらの妊娠期間なので疲労が重なるか心配です。

2011年5月24日火曜日

的中!

第二子を目指して3ヶ月目でした。リラックスして妻と月に一回だけ愛し合った後に「あっ!妊娠した」と直感の様な感覚がありました。当然妻には話しません、期待させてガッカリさせたくは無いので自分の胸の内に止めましたが明らかに感じました。翌月から来るものが来ず、更に翌月産婦人科へ行くと「おめでとうございます!」と…不思議でした人間には第六感が存在すると思いました。これからは薬のコントロールと発作の心配が増えますが、やはり嬉しかったです。

2011年5月23日月曜日

情けない

子作りロボットが嫌と言いつつ誘われると断れない駄目な男です。しかし妻と愛し合う事が嬉しくて授かって欲しいという気持ちとまだ先で良いと思う気持ちが交錯しました。妻は一人目の時とは違いリラックスしています。不妊治療では高額な費用が必要ですので自然と緊張感が増してきますが今回は出来たらラッキー的な気分になっていた感じです。
もしかすると今回はすんなり妊娠かもと感じていました。

2011年5月22日日曜日

やっぱり…

実際に子作りが始まると妻は体温を計測し排卵日付近になるとお誘いが来ます。それ以外は拒否です…男が一番嫌がるパターンに突入しました。子作りロボット状態に腹がたち排卵日では無い日にあえて誘うと拒否!子供を作るだけの行為は嫌だと話すと「今日は頭が痛いから無理!」
これを言われると発作が起きると恐いので撤退あるのみ…完全に負けました。

2011年5月21日土曜日

子作り開始

夫婦で話し合った後に早速第二子を目指して行動開始となりました。
しかし、私は複雑な気分になります。普段は完全拒否でしたが子作りとなると復活になる…先生からは3人目は駄目とキツく言われているので第二子が産まれたら二度と機会が無くなる予感がします。ウジウジ言っても始まらないので、取り敢えず前進あるのみ!まだ見ぬ第二子を思い励みます。
先日から若干体調を崩しお休みしてました。季節の変わり目は注意ですね

2011年5月20日金曜日

妊娠の可能性

協議により第二子を望む事になりました。反対していた私ですが覚悟を決めると欲しいと言う正直な気持ちが全面に出てきました。前回の投稿にも記載しましたが不妊治療を行わずに子供を作る訳ですから「のんびりと待とうね」とお互い確認し合いました。不妊治療をすると高額な費用が必要となるので失敗した時のショックが大きくなりますが自然な形であれば費用は掛りませんのでリラックスした状態で臨めると思いました。自然な形での子作りでは妊娠する可能性は低いですが一度出産すると体質が変わり妊娠し易く事もあるそうなので今回は気長にトライする事になりました。


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2011年5月19日木曜日

結論

妻と第二子を作るかの議論を続けた結論は…やはり妻に負けました。
しかし今回は条件付きの合意となりました。
①不妊治療を行わない事、育児をしながら不妊治療をすれば妻の体調に負担をかけすぎるのが理由です。
②妊娠中に危険な状態になった場合は早い時点で諦める事、第一子を妊娠したときは命に換えても出産すると妻は言っていましたが今回は息子の母親ですので発作等により妊娠の継続が困難になった場合は第二子を諦めてでも妻を優先する必要があります。

2011年5月17日火曜日

案の定

産婦人科から戻ると早速家族会議が始まりました。妻は第二子を懇願し私はリスクの高さを主張しお互い歩み寄る気配も無し、私の本心は妻に万が一の事があった場合に息子が可哀想なのと私自身が緊張感満載の妊娠期間と無事に出産出来ても睡眠時間3時間の乳児期間の生活に耐えれる自信がありません。妻は兄弟が居る方が良いと主張を変えません。
約1ヶ月程平行線のまま過ぎました。家庭内は常にピリピリモードで私は精神的に追い詰められます…仕事で疲れて帰っても会話は無し、家事と育児をしてボロ雑巾の様に寝る生活が続きました。

2011年5月16日月曜日

次は?

産婦人科で定期的に健診を受けているので私も運転手として付いて行くと先生から「次はどうするの?」と言われ夫婦揃って「???」続けて「後一人は大丈夫かな」すると妻は嬉しくて今にも泣き出しそうです私は絶句…約束では一人だけのはずが妻の目は輝いています。先生には一旦保留として帰りました。再び議論する必要がありそうね。

2011年5月15日日曜日

認識の違い

私は発作を非常に恐れていますが本人は発作を見れないので「また、やっちゃった」位の認識です。私としてもあまりのギャップに苛立ちさえ覚えます。しかしある時に子供が風邪による高熱で熱性痙攣を起こしました、私は動揺しましたが痙攣には馴れているので冷静に対処しましたが隣で青ざめている妻が居ました。私が「てんかん発作はこれ以上に凄いよ」と教えてあげると私が恐がっている理由を理解してくれました。前回コメントを下さった方も同調してくれましたが実際に発作を見た人でないと恐さが分からないです。この一件から妻が少し慎重になった事が嬉しかったです。

2011年5月14日土曜日

公共の場で発作

子供が大きくなると1歳健診等と公共の場に出ていく事が増えます。私も毎回健診に付き添う事も出来ず妻に任せる時もありました。その日も健診に行っている妻から電話があり「保険婦ですが奥様の具合が変です。」と…近くに居た保険婦さんに頼んだ様です。仕事を抜けて会場に行くと別室で横になっていました。幸い痙攣はしてなく軽い発作で良かったです。後で話を聞くとざわざわした会場に居たら発作が起きてしまったとの事でした。発病後から人混みを苦手にしていたので今度からは私か他の家族が付き添う必要があると思いました。

2011年5月11日水曜日

医療費


家計に占める医療費の割合が非常に高い我が家です。発病後には破産する~と思っていましたが日本には助かる制度があり思わず「Nice!日本」と叫んでしまいそうになりました。代表的な制度としては高額医療費の還付制度(名前は自信無し)です。同月内に自己負担額が一定以上になると越えた分が戻ってきます。私の場合は8万円弱になります、手術や入院のある月には助かりました。
次は確定申告の医療費控除です。年間の医療費が10万円を越えた場合控除が受けれますがそもそも納めている税金が少ないので還付される額もしれています…しかし戻って来るなら多少面倒でも利用します!
抗てんかん薬代やMRI等で年間10万円は必ず突破します。
(私の頼りない記憶ですので最寄りの機関で確認して下さい)

2011年5月10日火曜日

叱ると怒る

子育てにおいて叱ると怒るの差に気付きます。「叱る」とは注意する事が前提であり「怒る」は感情的な怒りとなります。当然ですが子育てでは叱るが理想ですが妻は発病後から感情的になりがちで子供に対しても時折怒る事が多いです。妻に限らずそうなのかもしれませんが目につきます…やはり感情のコントロールが難しいようです。

2011年5月9日月曜日

発作への恐怖心

私は常に発作への恐怖心を抱いています。季節の変わり目や気圧が急激に変化する時は当然ですが何もない日でも気になります。仕事中に妻から電話があると寿命が縮む思いです…
知人からは恐がり過ぎと言われます自分でも分かっていますが発作時の妻の表情を思い出すと今でも胃が痛みます。先生からは薬を服用しながら治療すれば将来的に発作は治まると言われているので発作に怯えない日々が待ち遠しいです

2011年5月8日日曜日

発作の後

妻の下着を替え布団を外していると息子が目覚め無邪気な笑顔に落ち込んだ気持ちが救われる様でした。服を洗濯していると妻も目覚めました何が起きたのか分からない様子でしたが直ぐに理解したらしく泣き出し
ました。私は無言で抱きしめ泣き止むまで待っていました。確かに発作とはいえ本人が一番ショックを受けているはず…しばらくして落ち着くと布団類をクリーニング店に持って行き「子供がオネショしちゃって」と説明しました。(息子は濡れ衣)

2011年5月7日土曜日

産後初の発作

出産後初の発作が起きてしまいました。仕事中に妻から電話…嫌な予感「ご  …  め  …  ん」予感的中…息子には見せたくないのでダッシュで帰宅すると痙攣は起こしていませんでした。息子を見るとすやすやとお昼寝中…良かった。しかし妻の痙攣が始まり終わる頃には失禁してました。初めての事だったので愕然としたのと後処理をしている時に私は泣いていました。

2011年5月6日金曜日

育児慣れ

3~4時間毎にミルクを飲む時期が過ぎると私の日常にも若干の余裕が生まれてきます。睡眠時間も5時間程度取れるようになりました数か月の疲れを取るように限界まで布団に入っていました。
家族三人で外出する機会も増えて本当に子供を作って良かったと実感しました。夫婦二人だけでは残りの人生を楽しく暮らせたか分かりません…
妻の状態はと言うと季節の変わり目や気圧の急激な変化があると調子が悪いみたいですが発作には至らずに数秒間うずくまっていると治まるようです。子供の前では絶対に発作を起こさせないのが新たなスローガンです。

妻が発病してからGoogle検索は必須アイテムとなりました。少しでも分からないことがあると検索!新しい薬を貰っても検索です。感謝感謝


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2011年5月5日木曜日

妻に対する感情

睡眠不足とストレスから私の妻に対する感情にも変化が表れます。私の負荷は増えるばかりで妻から感謝の言葉も無いと私が家事や育児する事が当たり前となっていく気がしてきます。小さい男と思われるかもしれませんが妻に対しても嫌悪感が…
家に帰って来ても落ち着いて座る時間が無く全て終了して時計を見ると午前2時、4時程度ぼろ雑巾の様に眠り仕事へ行きストレスを蓄積の繰り返し…毎回愚痴になってスミマセン!
夫婦でも会話や挨拶は大事だと実感しました。夫婦だから余計に大切なのかな?

発作時の力

前にも記載したと思いますが大発作が起きて痙攣している時、妻の片手は垂直に伸びた状態で小刻みに痙攣します(片手だけ前にならえの様に)最初の頃は焦って伸びた腕を元に戻そうとしますが男の私が全力で戻そうとしてもびくともしませんでした。人間は本来持っている100%の力は出せないとTV番組で聞きました。100%の力を出すと筋肉が壊れてしまうそうです。しかし発作時の妻は抑制する事が出来ずに普段は出せない力が出てしまうのだと感じました。いわゆる火事場の馬鹿力です。
家事や育児で疲れた時は「妻に発作だけは防ごう」をスローガンに奮起していました。
今日もとりとめの無い投稿でスミマセンでした

2011年5月4日水曜日

バタバタです

GW中で今日はバタバタしてたので更新はお休みさせていただきます。
流星の絆が文庫になっていたので読みましたが面白かったです♪でも東野圭吾作では秘密や時生そして幻夜と白夜行が最高でした!皆さんも良ければ試して下さい。それでは明日

2011年5月2日月曜日

ボディブロー

家族三人での生活がスタートして私の疲労感はピークに達します。仕事と家事そして育児…母は強しと言いますが本当に尊敬します。妻にとって睡眠不足は大敵ですから毎日11時頃には布団に入ります夜の育児担当の私は次第にイライラがつのり夫婦喧嘩に発展しますが発作が恐いので最終的には私が折れる…の繰り返しです。
まさにボディブローの様にじわじわと効いてきました。

2011年5月1日日曜日

退院前の検査

息子もいよいよ退院となります。一通り検査を行い目立った点が無かったので先生からも退院の許可が出ました!これで家族三人での生活がスタートします、妻が実家には帰らないと言い出したので慌てて自宅の受け入れ体制を整えました。
とにかく初体験ばかりで夫婦揃ってバタバタの連続でした。その日の夜に妻から「夜のミルクはお願いしたい」と申し出があり渋々了承しました…何故なら夜のミルクとは午後11時と午前2時になるからです。毎朝6時に起きて職場に行き、帰ってからは午前2時までミルクとなると実際に寝れる時間は3~4時間程度です。自分の体力が心配です(泣)

妻から退院

毎日仕事帰りに病院へ立ち寄り息子の話を妻から聞いてNICUに居る息子を見てから帰宅するのが日課となっていましたが2週間程度経過した時に先生から先に妻を退院させる旨の説明を受けました。確かに妻は既に回復し入院する必要性と言えば「気軽に息子に会える」のみとなっていましたので了承し一足先に退院する事になりました。

しかし毎日病院へ通う訳ですから両親へお願いしたり電車で通ったりと運転できない妻は何かと不便です。私も先生からの説明があれば仕事を休んで病院へ通います…仕事は溜まりますが何とかなっていたのが不思議です(笑)

息子は出産直後から比べると日々大きくなり抱っこする時も安心して抱けるようにまでなりました。看護師さんから沐浴やミルクのあげ方を教えてもらいますが自信がありません。妻は産後も薬を服用しているのでおっぱいを飲ますことが出来ませんし、そもそも母乳が出てないみたいです。出産した自覚が無かったからなのか元々出にくい体質なのかは分かりませんが人工乳のみで育てます。

息子が退院したら家事に育児がプラスされるので妻の体力が心配です。



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2011年4月30日土曜日

保育器の外から接触

保育器には看護師さんが世話をする為の穴が開いてます。私も両腕を通して初めて息子に触りました!
温かくて生きている事を実感したと同時に私の片手で骨が折れてしまうのでは?と思うほど細い体でした。
父親になった実感はまだありませんが責任は感じていました。
妻はようやく動ける状態まで回復してきましたので次にご対面となります。
てんかんや高度脳機能障害で出産する事がいかにリスクが高いか実感しました。正直に言うと子供はこの子が最初で最後にしようと思いました

2011年4月28日木曜日

保育器の中に居る息子

かなりの低体重で産まれたのでNICU の保育器に居る状態で対面しました。はっきり言って猿のぬいぐるみです(笑)片手に乗りそうでした。
この子の命が無事だった事を何より喜ぶべきですが気になるのは奇形や障害です。最初の検査で目立った奇形は無いとの説明に安堵しました、
後は成長してから障害等の検査に入る様です。意識が回復した妻に事の経緯を説明すると「産まれたの?」とお腹をさすると「本当だ!へこんだ!」と夫婦漫才状態でした。奇形が無かったと説明すると泣きながら良かったと一言呟きました。妊娠してからずっと心配していたので肩の荷が降りたようでした。

2011年4月27日水曜日

出産

バタバタ状態での出産により、かなり小さな男の子が産まれました。当然ながらNICUへ入り24時間体制で看病されます妻もICUで看病され一人になった私は妙なテンションで仕事に向かいました。

無事に出産されましたが産まれた子供が障害を持っているかは不明です。かなり危険な状態で仮死状態になっていた可能性もあるようです。十分な酸素が行かず脳に障害で出るかもしれないと残酷な説明を受けました。


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2011年4月26日火曜日

最悪の事態(2)

救急車で大病院へ再度搬送されましたが道中にも発作を起こしました。もう何回目の発作か分かりません…子供が無事に産まれる可能性が薄れていくのを感じました。妻も発作の度に体を痙攣させ顔は引きつったままになっています最悪は妻も失うかも…私の思考回路は悪い方へ悪い方へと流れて行きます。

病院に着くと直ぐに手術が始まるかと思えば手術の説明・同意書への記入等々、大事だと思いますが何とももどかしく「任せるから早く手術して下さい!」と言いたい気持ちを抑えサインします。

手術が始まるとお互いの両親が到着し経緯を説明し無事に出産されることを祈りました。

………手術中は普段の数倍時間が長く感じます。何時間待ったか覚えていませんが煙草が一箱無くなっていたのは覚えています。 そして

手術が終了し先生が出てきました。「無事に産まれましたよ、体は小さいけど元気な男の子です」と話を聞きながら涙がこぼれました「奥さんも現在は意識は無いけど大丈夫だと思います」

まさに奇跡としか言いようが無いです!産まれた子供は落ち着いてから検査を受ける事になるようです。徹夜でしたが疲れはありませんでした


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2011年4月25日月曜日

最悪の事態

臨月近くになったある日、夕飯の準備が早くに出来てしまったので先にお風呂に入ることを提案し先に私が入りその後に妻が入りました。妻が風呂から出てくると「頭が痛い」と横になりました。冷静に考えれば食事前の空腹時に体力を消耗するお風呂に入れば危険なことは明白でしたが当時の私は軽率だったと言うしかありません。

妻は次第に意識が薄らぎ発作が始りました。今までに無い程の大発作で舌を噛んだようで口からは血が流れてきました急いで救急隊へ電話して産婦人科へ搬送しますが今回は大発作が連発で起き手がつけられません。救急車の中でも産婦人科に到着してからも治まる気配が感じられません先生からは「当院での手術が難しいから急いで大きい病院へ搬送する」と直ぐに手術が行える病院を探し始めました。お腹の中に居る胎児の心拍も乱れてきて危険な状態となります。想定していた最悪の事態が現実のものとなりつつありました。(二人とも失ってしまうかも…)

胎児をこれ以上、お腹の中に留める事は危険過ぎるので予定日よりかなり早いけど帝王切開で出産させる事になりそうです。

自分の何気ない提案から最悪の事態を招くとは…痛恨のミスです。


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2011年4月24日日曜日

いよいよ臨月間近に!

困難を何とか乗り越え臨月間近まで辿り着きました。てんかん発作のリスクから通常分娩を避け帝王切開で出産することが最初からの約束事になっていたので産婦人科の先生と出産予定日を打ち合わせることになりました。妊娠するまでもそうですが、妊娠中の血中濃度管理・栄養管理そして出産予定日も管理されまさに至れり尽くせりな妊娠となりました。

胎児も大きくなり人としての姿がはっきりしてきたので後は発作を起こさずに出産するだけです。私も慢性的な緊張感から解放される日が近いと思うと嬉しくなります。子育ては大変だと思いますが精神的に削られるよりかは楽だと想像する日々でした。


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2011年4月23日土曜日

てんかん発作 再び

日常生活が辛くなってから再び発作が起きてしまいました。嫌な予感はしていました…私が出来ることは最大限努力したつもりでした家事(洗濯・掃除・たまに炊事)を行い、仕事も早めに切り上げ妻の側に居るようにしていましたが就寝中に振動が伝わってくると妻が痙攣していました。

しかし、今回は痙攣していた時間は短く呼吸も止まらずに済みましたので救急車を呼ぶこともなく次の診察時に報告することにしました。

発作が治まると数時間はボーとしていますが、その後は何故かスッキリした顔をしているので妻に聞くと「発作が起きる前よりスッキリしている」と…日常的に蓄積されて発作が起きるとクリアされるようなイメージだそうです。(医学的には分かりませんが)何となく地震に近いメカニズムかな?

《余談》
最近になり、ブログのページビューなるものを発見!(遅い?)だいたい一日平均100件のページビューがあるみたいです。こんなに閲覧していただけるとは思っていなかったので本当に嬉しいです。

更にブログ登録中に勢いで掲載したGoogleの広告にもクリックのカウントが僅かながらもありました。間違ってクリックしたならゴメンなさいm(__)m 気が向いた方は励みになりますのでお願い致します。



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2011年4月22日金曜日

赤ちゃんの性別

胎児が大きくなると性別が分かるようになります。我々も気になるので先生に教えてもらいました「男の子ですよ」と実際には男か女かは問題ではなく無事に産まれることが大事なのですが嬉しかったです。性別が分かると無事に生きて成長していると実感できるのと、何となくですが男の子が欲しいと漠然と思っていました。

お腹が大きくなると日常の生活も負荷がかかるようになり、常に体調が悪そうでした。足のむくみや腰の痛みそして頭痛…嫌な予感が



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2011年4月21日木曜日

血中濃度の低下

発作を起こし入院していた妻が退院し、脳外科へ診察に行きました。血中濃度を測定するのが目的ですが実際に測定してみると驚くほど低下していました。大きく成長している胎児に血液が流れていることが低下の原因となります。先生からは薬の量を増やして血中濃度を安定させる必要があると言われ同時に産婦人科での診察を受けるように指示されました。

再び産婦人科へ行き薬が増えたことを説明すると葉酸が不足するかもしれないのでサプリを飲むように指示されました。

帰ってきた妻は今まで以上に胎児へ気を配るようになり発作の再発を恐れていました(私も同じです)

ちなみに私たち夫婦の両親は子供を作ることには反対でした。理由は「リスクが高い」…当然です。
妻の両親は妻から力技でねじ伏せ、私の両親には理由を説明し理解してもらいました。実際には楽しみにしているみたいで残り数か月を無事に過ごし最終的に元気な赤ちゃんが産まれれば言うことなしです。


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2011年4月20日水曜日

妊娠中の食事

妊娠してからの妻は極度の神経質になり10ヶ月間も続くのかと思うと私の方が先に倒れてしまいます。基本的にピリピリしていて私が冗談を言っても反応なし…食事も野菜など食物繊維を取ることが最優先でお肉が稀に登場しますが湯通しされています。
妊娠中は便秘になるらしいので食事で改善を試みているようですが私は元々快調な方ですので影響をモロに受けてしまい慢性的な下痢状態でした(汚い話でゴメンなさい)
しかし妻に文句を言えば「非協力的な夫」とレッテルを貼られることが目に見えているので無駄は争いは避けます。

本当に弱い夫です…




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2011年4月19日火曜日

発作の原因

胎児に異常は無かったのは不幸中の幸いですが、今回の発作は原因が思い当たりません。脳外科の先生に電話で確認すると「妊娠により血中濃度が低下したかもしれないから退院したら診察に来てください。」との事でした。頻繁に血中濃度を測定し安定していましたが急激に下がっていたとなると今後の体調管理も非常に難しいと感じました。

入院中の妻は病院に居る安心感からか、非常に安定していてまるでホテル暮らしの様な優雅さを感じました。私は自宅で一人暮らしですが食事は外食のみで妻が退院するまでに体調を崩してしまいました。唐揚→とんかつ→カレーのローテーションを1週間程度続けると胃腸がもたないみたいです…


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2011年4月18日月曜日

妊娠中のてんかん発作

発作を最大限に注意し、恐れていましたが起きてしまいました。

私が仕事中に妻から電話(嫌な予感)
妻「あ…お…ごめ…………」
私「分かった!すぐに帰る。」 発作時の会話はこんな感じです。

仕事を中断して自宅へ帰ると玄関でうずくまっていました。すぐに救急隊へ電話して数分後に救急車が到着しました。救急隊に症状を説明すると「脳外科のある病院を探します」と電話を取りましたが私は「産婦人科へ運んでください」と、救急隊は不思議そうな顔をしていたので「てんかん発作は時間が経てば治まるけども胎児に影響が無いか心配だから産婦人科へ運んでください」と今回の事情を説明しました。救急隊の方は急いで掛かりつけの産婦人科へ受け入れの確認をして急行しました。

産婦人科の先生に真っ先に胎児の状態を確認してもらい「異常は無いと思います」と…ホッとしましたが先生からは続けて「念のため奥さんは一週間程度入院した方が良いと思いますよ」

当然指示に従い意識が回復した妻にも状況を説明した上で入院手続きと準備の為に自宅と病院をピストン輸送しました。胎児に異常がないと知った妻は涙を流しながら私に「ゴメンなさい」と繰り返し謝っていました(謝ることなど何ひとつ無いのに…)


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2011年4月17日日曜日

妊娠による体調変化

先日は私の体調不良で申し訳なかったです、無事に復活できましたので更新を再開します。

妊娠して数ヵ月後に胎児の器官形成期が到来しました。当初の予定通り薬の量を限界まで下げて胎児への影響を軽減させます。妊娠してから妻の体調は不安定になり、常に発作の影を感じていたのに更に薬を下げて大丈夫なのか不安になりました。

妻の体調が不安定になったのは流産の心配からだと妻は話していましたが、おそらく胎児の障害(奇形)への心配も強いと思います。

そんなに心配なら子供を作らなければ…?と思う方も多いのでは実際に言われたこともあります。

病気により、多くの能力を失った妻に子供を作る機会まで奪う事は出来ません。これが私が出した結論です無事に出産できても多くの困難が待ち構えているのも安易に想像できますが、これら全てを受け入れることが私の進む道であると覚悟しています。


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今日はお休み

私の体調が崩れてしまったので本日はお休みさせていただきます。
明日は復活出来ると思います…

2011年4月15日金曜日

抗てんかん薬

抗てんかん薬には多くの種類があり、妻が飲んでいるのは「セレニカR」です発病から数種類を渡り歩き比較的 副作用が出ないということで定着しました。

抗てんかん薬の副作用は色々ありますが妻は眠気が強く出るみたいで薬が合わないと猛烈な眠気が妻を襲います。日常生活は当然ですが、立っているのも辛いようでした。

合う薬を探すのが如何に難しいかを痛感しました。


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2011年4月14日木曜日

血中濃度の重要性

前にも記載しましたが妊娠期間中における「抗てんかん薬」の血中濃度は非常に重要となります。妊娠することにより、妻の血液は胎児にも流れていきます。当然のことながら胎児にも「抗てんかん薬」の成分が吸収されてしまうので薬をたくさん飲むと「二分脊椎症」等の障害が胎児に出てしまいます。では薬の量を下げてしまうと胎児にも血液が回るので妻の血中濃度が下がり発作のリスクが高くなります。発作が起きてしまうと妻の呼吸が一時的に停止するので胎児は無酸素状態に陥り危険な状態になります。

長々と書きましたが結論としては「発作を起こさないギリギリの量を維持する」となります。

産まれる子供が障害を負ってしまった時の事も考えました。何事も無ければ子供は親より長く生きるのでリスクがあると分かっていながら出産することは無責任と言えるかもしれません…もし、子供が障害を負って生まれてきた時には自分たちの幸せを放棄してでも育て可能な限りの財産を残すと誓い不妊治療を行いましたので、「今時分たちが出来ることを可能な限り行う」が夫婦のスローガンでした。

産婦人科の診察・脳外科での血中濃度測定と毎週病院へ通っていました。



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2011年4月13日水曜日

妊娠生活始まる

顕微授精にて妊娠したことにより治療中のピリピリ感が薄れると思った私は考えが甘かったです。妊娠が分かった瞬間の喜びを持続していた私とは違い妻は流産を気にして前よりピリピリしています。これでは10ヶ月経つまでに妻の精神状態が崩れるのではと心配になります。

妊娠中は家事の負担が更に増え、食事も食物繊維を取れるようにキノコや野菜中心になりました…たまにお肉が出てきても湯通してあるので私は満たされずに会社から自宅へ帰る途中にコンビニでパンを食べてから帰宅していました。

妻の精神状態も心配ですが私の精神状態も危なくなってきます。発作の兆候も徐々に出てきていました、意識を失うほどではありませんが頭痛を訴えてくることが多くなりました。

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2011年4月12日火曜日

いざ顕微授精!

顕微授精の治療が始まりました、途中までは体外受精とほぼ同じ内容でしたので気持ちの準備や覚悟もあり無事に終了しました。今回も卵子を複数個採取して精子を挿入していきます、体外受精と違い完全に人工的でした…よくTV等で見かける卵子を針のような物で刺し精子を注入する感じでした。

おかげで今回は受精卵が複数個出来ました。状態が良い卵を妻の体に戻して着床するのを待ちますが再び緊張の連続で嫌な予感がしてきました。

結果は……「おめでとう!」と先生から言われました。二人で「やったーーー!」と喜び、妻は涙。私も気がつくと泣いていました不妊治療を始めてから2年が経過していました。

しかし先生からは「これからが難しい、無事に出産できるように脳外科の先生と連携を取りながら進めましょう」と本当に先生に恵まれました。

今後、てんかん発作を持つ状態で出産することの難しさを痛感します。


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2011年4月11日月曜日

顕微授精

てんかん発作からも回復し、いよいよ顕微授精を受けることになりました。説明のときに先生から「顕微授精で産まれた人は順調に成長しているが通常に出産された人と同じだけ寿命があるか分からない」と言われました。当然、通常の人と同じ位の寿命にはなると思うけど顕微授精で生まれた人が寿命を全うしていないから、この説明が必要との事でした…(妙に納得してしまいましたが心配はしなかったです。)

次に費用の説明でしたが金額は言えませんが我が耳を疑いました。後日談ですが近隣の病院に比べると安い方でしたが金額自体にビックリでした。治療方法は途中までは体外受精と同じになるので連日の注射が再び必要になり正直1回勝負だと思いました。

妻にも顕微授精は1回勝負でと確認すると妻も「顕微授精で駄目ならお金が貯まるまでタイミングでお願いします」と分かっていたので若干安心しました。顕微授精をするまでの治療費に顕微授精を後数回すると破産です…

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てんかん発作の恐怖

体外受精の失敗から数日後に発作が起きました。やはり深夜に振動が伝わり目を覚ますと妻が痙攣していました、前回の診察時に「発作が起きたら楽な体勢にしてあげて、時間を計ること。舌を噛み切ることはないから口に何かを詰めては駄目」と教えられていたので比較的冷静に対応できました…が常に膝はガクガク震えて感じていた時間は10分以上でしたが計った時間は3分弱でした。
救急車を呼ぶことも病院へも行きませんでした。(先生から落ち着いたら大丈夫と聞いていたので)発作が起きると2~3日は言葉や思考がまとまらなくなるので、なるべく側にいるようにしますが、私にとってはトラウマになりそうです。


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2011年4月9日土曜日

体外受精の結果

緊張感を保ちながら産婦人科へ結果を確認しに行きました。

すると「妊娠の反応が出ています。」との事!二人の顔から力が抜けていきます「良かった~」と喜びますが先生からは「まだ確定は出来ないから安静に」と…

それから数日後に生理が来てしまいました、妻の落ち込みようは凄く目がはれるまで泣いていました。体外受精に必要な時間・費用それから大きな期待からの絶望感で夫婦間で不妊治療に関する会話は一切無くなり一ヶ月程度が過ぎました。何となく諦めムードが漂う日々が続きましたが、妻から「顕微授精に挑戦していい?」私は「良いよ」と答えました。

「もう行けるところまでやるしかない」です。

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2011年4月8日金曜日

受精卵!

体外受精を実施して数日後に病院へ行くと先生から受精卵が出来たと知らされ二人とも喜びました。私はこれで妊娠出来ると思っていましたが、妻と先生から「着床しないと駄目!」と同時に突っ込まれました。「着床?」 先生からの説明では受精卵を妻の体に戻してから根付かないと妊娠にはならないことを教えてもらいました。しかし卵子は複数取れましたが受精卵になったのは一つだけ…ワンチャンスに賭けることになります。

受精卵を戻してからの妻は極度の緊張から声を掛けるのも出来ませんでした。駄目だった時に立ち直れるのか心配で我が家には緊張と心配が渦巻いていました。


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2011年4月7日木曜日

だらしない夫?

今までの投稿を改めて見ていると私は妻の言いなりになっている事が分かります。「情けない」とか「自分の意思が無いか?」と感じている方もいるかもしれません。実際に私は知人や近親者から似たような事を言われていました…

自分でも分かっています。しかし発病後の話せない・動けない妻を何とか励まそうと自分なりに努力し「妻が欲することで自分に出来ることは可能な限りしてあげよう」と思い仕事の仕方を変え帰宅時間を早め、帰宅後は家事の多くをして妻がリハビリに専念出来る時間を捻出し、てんかん発作の原因に疲労が考えられると言われれば今まで以上に疲れないようにあれこれ考えてしまいます。

自己犠牲に酔っているいる訳では無いのですが時々悲しくなります。(俺っていったい…)と

ブログを始めて約1ヶ月が経ちページビューが2,000を突破しました。自分の覚え書き程度に始めたブログを多く方に見ていただいて感謝です。コメント等いただきましたら励みになりますのでお気軽に書き込んで下さい。

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2011年4月6日水曜日

授からない命

数ヶ月間に渡ってタイミング療法を試みますが妊娠の兆候すら無く、次は体外受精を行う事になりました。体外受精は卵子に直接精子を送り込む方法だと思っていましたが、それは顕微授精と呼ぶみたいで完全に勘違いしていました。体外受精を始めてから妻は一ヶ月間薬を服用し排卵を防ぎ、更に注射を一週間程度毎日射ち通常であれば一個しか排卵しない卵子が複数個排卵します。複数個排卵された卵子を採取しシャーレ(容器)の中で精子をかけて受精を行い培養するとの事です。

この方法は女性への負担が非常に大きく心配でした。特に毎日の注射が大変で妊娠・出産となると男は無力だと痛感します。生まれ変わっても男が良いと感じました…

ちなみに、この文章を入力して気付きましたが 「体外精」 「顕微精」 顕微授精は受では無く授と手へんが付くことに気付きました。顕微授精は人工的に受精するからになるんですね。




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2011年4月5日火曜日

不妊治療と夫婦の関係

不妊治療の話しが続きますが治療には時間とお金が掛かります。チャレンジは月に1回ですが診察には数回行き必要な時は薬を貰います。又、脳外科では頻繁に血中濃度を測定するので受診及び採血が必要となり我が家の医療費は莫大な金額となっていきました。

費用が掛かるにつれ駄目だった時の喪失感は増していき夫婦の会話も少なくなり、タイミング療法の為だけに愛し合う事も苦痛に感じて次第にケンカが多くなりました。

妻が発病後で仕事が出来なくなった今、私の安い給与だけが頼りとなり毎回病院に支払う金額を見ると心配になり一人で病院に行けないので平日は会社を休んで病院へ行きます。仕事が滞り家計も心配となれば無理に子供を作る事に対する疑問が再燃し夫婦関係は最悪な状態でした…産婦人科では不妊治療と思われる人が多く来院し治療を受けていました中には夫婦で協力的な会話をしている夫婦や私達と同じように険悪な雰囲気が漂う夫婦もあり、気持ちを落ち着けて協力的になろうと努力しました。



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2011年4月4日月曜日

いざ不妊治療へ

半年間の血中濃度測定と不妊治療の検査を行い血中濃度が安定してきたので、いよいよ不妊治療を開始する事になります。まずはタイミング療法からスタートです、産婦人科の先生が体温を確認して子供を作る日を指定します。毎月3日間程度連続で指定されますので妻の体調が心配になってきますが目標を持った妻はたくましく全く平気な様です。(平気に見せていただけかも知れませんが…)

私としては完全に義務付けられると辛い部分もありましたが妻に引っ張られる感じで一緒に努力しましたが簡単には行きません。強く望めば望むほどに遠くに感じるように思えてきます。

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2011年4月3日日曜日

血中濃度について

発作が起きるまではあまり意識していませんでしたが薬を服用すると血液の中に薬の成分がどの程度含まれているかにより、薬の効果を判断するそうです。抗てんかん薬にも有効血中濃度があり、下がり過ぎると発作が起きやすくなり、高すぎると副作用が出てきます。
抗てんかん薬を服用しながら妊娠すると服用していない人に比べて奇形児が産まれる可能性が若干高くなりますので、あまり薬の量を増やしてしまうと奇形児になるリスクが高くなります。しかし妊娠中に発作を起こして無呼吸状態になると胎児も無酸素状態になる為、様々なリスクが考えられます。
結論としては、妊娠初期にある胎児の器官形成期(胎児の臓器が出来る時期)は副作用が怖いので薬の量を減らしこの時期を過ぎれば薬の量を増やして発作が起きないようにする事が大事です。

こんな事が出来るのか…と疑問に思いつつ血中濃度の計測と不妊治療の検査に明け暮れる半年間でした。

※これは私が体験した時の話しで病院または新しい薬や技術により、当時とは状況が異なる場合がありますのでご了承下さい。

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2011年4月2日土曜日

脳外科にて

脳外科へ妻が妊娠可能か確認しに行くと「大丈夫だよ」とあっさりGOサインが出ました。しかし血中濃度の管理を定期的に行う事と現在の血中濃度が安定するまでは禁止となりました。とりあえずは半年間程度、濃度の測定に入る様なので同時に産婦人科で不妊治療を受ける事になります。
我々夫婦は子供ができにくいので、この半年間は不妊の原因追求にあて、濃度が安定したら本格的にスタートとなります。妻が病気なのか疑う程段取りが良い…

2011年4月1日金曜日

夫の苦悩

妻の子供が欲しいと強い意志を受け早速、産婦人科へ行くことなりました。産婦人科の先生に相談すると予想通り難しい表情で「リスクが高い」と言われ、まず脳外科の先生に確認をする様にとの事でした。私は正直に言うとホッとしました、健常な女性でも妊娠・出産はリスクを伴うのに脳出血の後遺症とてんかん発作を併せて持つ妻が無事に出産出来るのか…もしかすると今度は妻を失うのではないか?と思う気持ちから妊娠・出産に対して否定的な姿勢をとる様になりました。
数日後の買い物途中に私が妊娠を諦める様に諭すと突然、妻はショッピングセンターの防火壁に走り出し頭をぶつけようとします。私は慌てて止めに行くと「子供を作る事が出来ないなら生きている意味が無い」と…結局、私が折れて「子供を作る努力はするけど出来なかった時は諦めれるか?」と確認すると「無理なら諦めて違う人生を考える」との事。

やはり妻の思い通りに事は運びます…日常生活でも心配で辛いのに妊娠・出産・育児出来るのか苦悩が続きます。

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2011年3月31日木曜日

てんかん(その後)

救急車の同乗し、病院へ直行するかと思えば病院へ確認を取ってから移動しますとの事でした。焦っていただけに若干拍子抜けしましたが考えてみれば当たり前でした。
病院から受け入れを了解する返事が貰えたのでいざ出発です。夜中だったので渋滞も無く病院へ向かいます、車中にて妻の意識が回復してきました。「ここは何処?」と「何があったの?」と繰り返します、本人は全く覚えていない様で私が簡単に説明している間に病院へ到着。

脳外科の先生から説明を求められ最初に「何分位発作を起こした?」の質問に答えられません…10分位に感じましたが痙攣していた時間は1~2分位かも?と答えると先生から「長く感じるけど多分1分弱かな?次からは時間も意識して下さいね」と…そんな余裕があるかな?

病院では「抗てんかん薬」の投与が行われ数時間休んだ後に主治医の診察を受けました。おそらく入院中に聞いていたであろう注意事項を再度確認しました。

①薬の中断・減量は絶対に行わない。
②過度な疲労は避ける事。
③飲酒・喫煙はしない。
④強い光を感じる所には行かない(映画館・コンサート等)
⑤人混みの中に長時間いない。
⑥気候や気圧の変化に気を付ける

今回は正に①でした。診察が終了した時に帰るときの足が無いことに気づきました(救急車は片道)それから妻は病院から借りたスリッパを履いていました…靴を忘れた。
両親に連絡し無事に自宅へ到着です。この日は会社も休んだので二人で過ごすことにしました。

帰宅してしばらくすると妻から夫婦としての営みを…と言われ発病後初めて行いました(細かい描写は省きます)てんかん発作後だったので心配でしたが無事に終了し妻を見ると泣いていました。
困った私は理由を聞くと「子供……作れるかな?」 数時間前に救急車で運ばれた人の発言とは思えませんが目の奥に強い意志を感じましたので「脳外科と産婦人科に確認しようか?」と答えると満面の笑みで頷きました(女性は強い…)

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2011年3月30日水曜日

てんかん

妻が薬を無断で中断してから2日後の深夜に発生しました。私は普段から一度睡眠に入ると朝まで起きない(起きれない)のですが、この日は何故か深夜に目が覚め隣で寝ている妻を見ると右腕が天井に向って垂直に伸び痙攣をしていました。焦って妻を見ると顔面も痙攣していていたので妻を起こそうとしますが口から泡が吹き出てきて私は完全にパニック状態…何故か右腕を下ろそうと試みますが全く動きません、非力な妻の腕が動かせない事で更にパニック状態へ取り合えず救急車を予防と電話機まで走ります。

119番と言いながらダイヤルすると「110」へダイヤル「すみません間違いました!」と119番へ再度ダイヤルします。落ち着いた対応に若干イライラしながら状況を説明します、思わず「早く来てもらえませんか?」と文句まで飛び出します。すると「既に向かっていますので落ち着いて下さい」との事…この時にようやくパニック状態から回復しました。自分が恥ずかしかったです

痙攣は治まりましたが意識は無く表情もありませんでした。取り合えず救急車を迎える為にアパートの外に出て煙草を吸いながら待ちました。救急隊が妻を運び出し私も同乗して病院へ直行しました。

当然ながら救急車初体験でしたが何も覚えていません…続きは次回へ




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2011年3月29日火曜日

薬について

発病してから妻は多くの薬を服用していました。「抗てんかん薬」は服用直後から問題が多くて飲むとすぐに気持ち悪くなる・眠くなる等、副作用が強い薬だと認識していました。「てんかん」がどの様な事かも知らずに…

夫婦での生活から半年が経過しました、妻は発病前から考えると60~70%回復したと思います。初対面の人は妻が病気と気づかない程度まで回復しました。しかし、抗てんかん薬を服用することを嫌がり毎日の様に愚痴を言っていました。「頭の中に霧が立ち込める様な感じ」と説明し、先生に対しても服用を中断したいとお願いしていたほどです。先生からの回答は「忘れずに飲んで下さい」の一点張りで薬を変更したり量の調整には応じてくれました。

ある日、会社から帰り妻の顔を見た私は驚愕しました。発病前の顔に戻っていました…そして思わず「お帰り」と言っていました。体調が良いのかと聞くと「2日前から抗てんかん薬は飲んでいないよ」との事でした……大丈夫なのか心配になりましたが久し振りの妻の表情に思わず笑顔になっていました。

この数時間後には恐れていたことが起きます。薬は飲ませるべきでした…

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2011年3月28日月曜日

二人での生活

実家での生活が1ヶ月程度続いた時に妻から自宅(アパート)での生活をしたいと言う事なので先生に了解を得て数ヶ月ぶりの夫婦での生活が始まりました。

炊事・洗濯・掃除はまだ難しそうでしたので炊事は両親にお願いし、洗濯・掃除は私が担当する事になりました。実家に居るときとの違いは昼間に妻が一人で家に居ることで私は心配で仕事が手につかなく2時間毎に電話をしていました。

少しでも体調が悪いときは仕事を休んで一緒に過ごし、可能な限りそばに居るように心がけました。
近くに居て分かった事は長時間TVを観ることが出来ない・複数の音を判別出来ない(TVと会話等)・寝つきが悪い等でした。

しかし着実に回復はしています。自宅でも率先してリハビリを行い、この頃では新聞の記事を書き写す練習をしていました。書き写す以外にラジオのニュースを書き写す作業も行います、これは私も出来る自信がありません…


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2011年3月27日日曜日

退院から日常生活の開始

いよいよ退院となりました。予定通りまずは実家にて妻の両親と生活して日常生活に慣れてきたら私との生活を始める予定です。
入院期間中に病室へ持ち込んだ物が多く義父の車と私の車で輸送しました。退院後もしばらくはリハビリの為、通院しますが実家で生活することもリハビリになります。

帰った妻から私に対しお願いがあり、夕飯は一緒に食べる事とお風呂も一緒に入る事でした。夕飯は私と一日に一回は会う為でお風呂はまだ一人で入るのが不安だからだそうです。私も当然ながら快諾し妻の日常生活がスタートしました。

私は元々早口で特に妻との会話では主語を省いて話す癖がありましたが現在の妻では通じないので必然的にゆっくりと丁寧に話す様になりました。食事の最中も妻は今日あった事を頑張って話してくれますリハビリの先生から貰った宿題の事やニュースの内容等、リハビリの先生からの宿題は一時期話題になった「脳を鍛える~」と似た内容でしたので私も実践してみましたが難しく妻に負ける時もありました(私は本気でやりましたが…)そんな時は家の中に笑い声が響き幸せな時間となります。

初めて妻とお風呂に入りました。発病前は一般的な体型でしたが、この時の妻は驚くほどに痩せていました。それはスマートになったのでは無く、骨と皮だけになった感じでとても辛かったです。手術の為部分的に剃られた髪の毛も痛々しいです。早く元の状態に戻る事を祈るのと、如何なる努力も惜しまないと誓いました。

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2011年3月26日土曜日

いよいよ退院?

発病後から1ヶ月が経過し妻の状態は驚くほど回復し自分で食事(箸で)・風呂・歯磨きが出来るようになり会話も聞き手が努力すれば成り立つまでになりました。先生からも退院の話しが出てきました
「まずは実家で両親に助けてもらいながら生活し、自信がついたら夫婦で生活」との事でしたが妻が断り半月ほど延期しました。妻に理由を聞くと「まだ外での生活に不安があるのと、リハビリを頑張りたい」 確かに回復するスピードは緩やかになった気がしますが新しく出来ることも増えているので半月間限定での延期をしました。

脳卒中になっても入院期間は1.5ヶ月でした。最初は半年間位は病院で過ごすのかと思っていましたが予想以上に早い退院に私の心の準備も整っていなかったので半月間の延期は私にも準備する時間が出来て助かりました。

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2011年3月25日金曜日

思わぬ落とし穴

前回の投稿まで非常に早いペースで回復し、仕事が終わってから病院へ行くことが楽しくなっていました。「今日は何が出来るようになったかな」と言う感じでした。

しかし妻の表情が日に日に曇っていき深く考え込む様になりました。心配になったので先生に確認すると発病直後は自分の状況が分かっていなかったので先生の言われるままリハビリをしていましたが回復するにつれ事の重大さに気づき始め精神的に追い詰められているとの話しでした。
リハビリを休んだり中断する時もあるそうで、そんな時は先生が妻の話を聞いてくれているみたいでした。女性の先生で本当に救われた気分です。

この頃の妻は片言の日本語レベルまで回復していたので私も妻の悩みを聞くことに専念しました。
妻の悩みは次の通りでした。

悩み
①私から離婚を言い渡されるかも?
②日常生活が遅れるのか?
③子供を作れるのか・育てられるのか?
④また脳出血が起きるのではないか?
⑤社会復帰(仕事)できるのか?

私の回答
①離婚については即座に否定しました。
②⑤については今後のリハビリ次第だね!としか答えられません…
③については全く想像がつかないので保留…
④については術後に先生から聞いていたので否定しました。

やはり将来に対する不安ばかりでしたので最後に「二人で頑張ろう!」と励ますと笑顔で頷いてくれました。


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2011年3月24日木曜日

更なる回復

妻が片言を話しだしてからは回復する速度が加速します。数日後には単語を話すまでに回復しました「病院…ご飯…美味しくない」等、単語を繋げて文章になる様に話し周囲を驚かせてくれました。
動作の方もスプーンとフォークですが自分で食べれる様になり、食べるスピードも段々速くなりました。
まだ発病から半月頃だったと記憶しています。

手術直後の後遺症に対するイメージは能力・知識が完全に失われてしまう物だと思っていましたが妻が回復するにつれ自分の勘違いだったと気づきます。妻は先生に教えて貰っている事以上に回復しています。自分のイメージですが人間の能力をパズルと例えて次の通りとしました。

①発病前は完成されたパズル
②発病によりバラバラになる(1ピース単位)
③リハビリにより1ピースから数ピースのブロックに
④ブロックが集まり一つの面になる。

簡単に言えば 点が線に線が面に と言う感じで今の妻は③(線)の状態だと感じました。
最終的に一つの面になっても抜け落ちたピースは戻らないかもしれませんが完成されたパズル(能力)に近づける様に夫婦で突き進もうと妻と約束しました。

※私には医学の知識はありません、内容は私の感想や主観から記載していますのでご了承下さい
またご意見やご感想等ありましたら気軽にコメントして下さい。

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2011年3月23日水曜日

言語の回復

言語が戻ってきました。私が病院に到着すると妻の両親から妻が何かを話しているが意味が解からないと報告してくれました。
妻は数分前から「ま……」と一言話しては困った顔をしている様です。私は直感的に「まくらが合わない?」と聞いてみると我が意を得たりと嬉しそうに喜んでいました。発病後に初めて見る妻の笑顔に私まで笑顔になりました。なぜ枕と思ったのかは自分でも分かりません妻の表情等から想像したのだと思いますが妻の両親は驚いていました。

それから妻は何かヒントの様な感じで頭文字とジェスチャーで自分の意思を伝える様になります。例えば「お…」と言われ音楽が聞きたかったとか「と…」でトイレ等、運動機能も回復を始め室内のトイレであれば車椅子無しで歩いて行ける様になりました。

脳卒中による後遺症は一人一人違うそうなので妻のケースが重症なのか軽症なのかは分かりませんが改めて人間の回復力は凄いと感じました。もしこのブログを見ている方で自分や家族の方が脳卒中になっても諦めずにリハビリを行えば信じられないくらいに回復出来ると思います。


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2011年3月22日火曜日

反応に変化が

今まで問いかけに対して全く無反応だった状態から何となく意味が解かっている様な反応が出てきました。首を縦に振ったり傾げたりと「YES」と「NO」そして「解からない」の意思表示が出来る様になりました。意思疎通が出来ただけで感動してしまいました。

最近の地震で頻繁に放送されている公共広告機構(オシム監督)で「サッカーも脳卒中もスピードが大事」と言っていますがリハビリもスピードが大事だと痛感しました。先生に対して一瞬でも不信感を抱いた自分が恥ずかしかったです。

詳しく話を聞くと発症後1~2ヶ月位が最も回復し、その後の回復スピードは緩やかになってしまうとの事でした。

運動・作業・理学とほぼ毎日、数時間の休憩をしながらのリハビリで各担当の先生は本当に親身になってやってくれていました。他の病院の事はよく分かりませんが良い病院に当たったと思いました。病気の治療や回復具合も病院や先生により左右される様な気がします…


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深刻な後遺症

前回より記載していた言語障害や麻痺に加えて歯磨きの仕方やご飯の食べ方まで忘れたかの様にスプーンやホークを渡しても自分では食べれません…まさに赤ちゃんに戻ってしまったかの様です。頭痛が治まり起きている時間も長くなると後遺症の深刻さが鮮明になってきます。リハビリの先生は社会復帰を目指し努力してくれていますが本当に日常生活がおくれるのか心配になりました。

2011年3月21日月曜日

離婚!?

妻の容態が安定してくると我々夫婦の親戚関係が見舞いに訪れる様になります。時に変わり果てた姿に涙する親戚や一命を取り留めた事に安堵する親戚ありと賑やかになりました。現れる親戚の顔を見て妻も反応する様になってきます。しかし右半身麻痺と言語障害は依然として残り親族の言葉も届いたか判りません…

私自身も一般的なサラリーマンですので朝一番で出社し、やるべき事を全速力で行い病院へ暫く看病し夕方から会社に戻り夜は病院に泊まる様な生活が続いていたので心身ともに疲弊していました。

そんな時に妻側の親戚から「この子は親族で面倒を見るから離婚して新しい人生を歩んで欲しい」と言われました。私も全く考えていなかったと言えば嘘になりますが、いざ面倒向って言われると間髪入れずに「離婚はしません!妻が私を捨てたら諦めますけど」と返していました。
妻に対する愛情や同情では無く必死にリハビリをしている妻を捨てて自分だけ病気から逃げれば私の将来は全ての事から逃げる人生になると思ったからです。ちょっとキザかもしれませんが妻のリハビリは凄みを増していましたし自分だけ逃げて、その先に幸せな人生は無かったと思います。



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このブログについて

若干遅い気がしますがこのブログは数年前に起きた事を振り返りながら記載しています。当時はブログを書く余裕が無かったのと知識がありませんでした。
今では振り返る余裕が出来たのでもしご意見等ありましたら気軽にコメント戴けると嬉しいです。

意識回復

妻の意識が戻りました。数日続いた頭痛はある程度治まったみたいで目を開けて病室を見まわしていました早速先生が話し掛けますが全く通じない状態で日本語を知らない外国人に話している様な印象を受けました。更に右半身は動かない事も判りました…

先生からの説明では言語や計算能力等基本的な機能と右半身を動かす機能が損なわれているらしいです。私がいくら話し掛けても無反応でしばらくすると眠ってしまいました。
もう病気をする前の妻には戻らないどころか話したり歩いたり出来るのか本当に心配になり少しでも気を緩めると涙が出そうになります。

数週間前までは海外旅行や子供を作る話しをしていたのが嘘の様に思え帰りの運転中に泣きました高速道路で思いっきりハンドルを切れば自分も死に楽になるのではと考えもしました。
この時の私には絶望しかありませんでした。

術後の様子

術後の説明が終わり病室に戻ると妻が戻って来ました。頭に包帯を巻き眠っていましたが時折辛そうな顔をします。するとリハビリの先生が現れて右半身の腕や足を動かし始めました。

思わず「手術が終わったばかりなので静かにして貰えませんか」とお願いすると先生から今からが一番大切な時期ですのでお任せ下さい。とバッサリ断れました…一瞬ムッとしましたが医学の知識などは持ち合わせていないので傍観する事になりました。

先生達のリハビリも終了し改めて妻を見ていると突然 大声で叫び始めました何が起こったのか解らないでいると看護師さんが現れ頭を抑えてあげると治まりました。説明によれば外科的な痛みが起きるので叫び始めたら頭を抱く様に抑えて欲しいとの事でした。

この後24時間体制での付き添いが必要となり妻の両親と私が交代で付き添う様になりました。
叫ぶ時に「痛い!」とか日本語で言うのでは無く、「ギャーー!」と病室の外に聞こえる程大きな声で叫んでいるのが更に不安になる要因でした。

後遺症

術後の説明が続きますが妻の脳内では既に出血があり左脳が損害を受けていると説明されました。左脳には言語を司る部分もあり、かなりの後遺症が残るはずだし右半身の麻痺も心配だと説明されました。
この時は術後の妻を見ていなかったのであまり実感がありませんが今後の二人に大きな影響を及ぼす事は間違いないと感じました。

2011年3月20日日曜日

ナイダスがあるダス?

タイトルの文言は術後の先生からの説明で実際に耳にした言葉です!先生としては気持ちを和らげる為の洒落だったと思いますが一族の反応は…でした。
ちなみにナイダスとは血管が混線してる様な感じで混線したホースに大量の水を流すと…やはり破裂します。大量の水が流れた原因は詳しく説明出来ませんが仕方の無い理由があったと思って下さい(個人情報を守る為ご了承下さい)
ナイダスは前回でも触れた様に知らずに持っている人も多い様なので脳ドックなので健診を行うのも予防になると思います。

2011年3月19日土曜日

病気の要因

術後の先生からの説明により、病気の全容が判明しました。

妻は先天的に脳内血管に奇形(ナイダス)があり、それが破裂した為に脳出血が起きました。
奇形血管は割りと多くの人が持っていて知らずに寿命を全うする人も多いが破裂する場合は
30代に起き易いそうです。

ちなみに妻は発病前から酷い偏頭痛がありましたが発病後は一切無くなりました。全ての
偏頭痛が要因とは思えませんが妻の場合、偏頭痛の原因は奇形血管だったと思います。

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発病

発病しました。病院のベッドに横たわる妻は既に意志が無い顔で植物状態でした。病名は脳動静脈奇形による脳出血との事でした。直ぐに開頭手術が行われました。手術中の時間は果てしなく長く辛い時間で術後の先生による説明も上の空でした。
手術は頭蓋骨を切り奇形の血管を取り除く物で成功はしましたが大きな後遺症が残ると言う説明に愕然としました。夫婦ともまだ30代で子供も居ない状態で将来の事を考えるのが恐くなりました。

結婚してから

何とかプロポーズをして結婚しました。結婚してからは周囲の予想通り完全に仕切られてしまいました。しかし転がされる方が家庭円満と言い訳?をしながら日々大きな問題も無く過ごしていました。
すぐ近くに人生を揺るがす事が起きるとも知らずに…

当時の私達は多くの事が思い通りに進み贅沢は出来ないがそれなりに収入もあり人生がそういうものだと思っていました。

今から思うと非常に子供だったと思ってしまいます。

次の投稿からは病気について記載していきますが個人情報を守る為に若干説明不足があるかと思いますがご了承下さい

2011年3月18日金曜日

結婚に至るまで

最初に妻との経緯について説明します。
妻とは社内恋愛でした。ちなみに妻は先輩で私が新人で入社した時にはバリバリと仕事をしていたので感心と憧れの対象でした。

色々あり妻と付き合う様になり気の強さに驚きました。私は流される所があるのでバランスが良かったかもしれません…「結婚したら多分カカア天下」と周りに冷やかされた事も多々ありました。

私もいずれ結婚するのかと覚悟?を決めつつありました。